ソメイヨシノの故郷は東京の「染井村」

2009年4月12日 撮影

染井よしの桜の里公園

染井よしの桜の里公園
春と言えば桜、桜と言えばソメイヨシノ――その起源をめぐっては複数の説がある。そのひとつが江戸染井起源説だ。
写真の「染井よしの桜の里公園」(東京都豊島区駒込6-3-1)は、2009年(平成21年)3月に完成したばかりの新しい公園だ。

東京都豊島区駒込四丁目から六丁目の界隈は、江戸時代には染井村と呼ばれ、多くの植木屋が軒を連ねていた。江戸後期から明治半ばごろまで、キクやツツジなど四季折々の花々を楽しめる名所だった。
染井よしの桜の里公園の大きな写真大きな写真
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その説によると、ソメイヨシノは1730年(享保15年)ごろにオオシマザクラとエドヒガンを人工交配してつくられたという。染井村の名前と、桜の名所として名高い奈良の吉野山の名前を合わせて「ソメイヨシノ」とした。

染井稲荷

染井稲荷
西福寺(真言宗豊山派)と隣り合うようにして染井稲荷(東京都豊島区駒込6-11-5)がある。

現存する最古のソメイヨシノは青森県の弘前公園にある、1882年(明治15年)に植えられたものだ。
ソメイヨシノが学術的に同定されたのは1890年(明治23年)のことだが、その頃は東京でも様々な種類の桜が楽しめた。品種によって開花時期が異なるので、1ヶ月は花見ができたという。
染井稲荷の大きな写真大きな写真
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戦後、焼け跡の東京に次々と桜の木が植えられた。これがソメイヨシノだった。ソメイヨシノの祖先は同じ1本の桜の木なので、完全なクローンである。花の色形が同じなら、咲く時期も一緒である。
染井稲荷
ソメイヨシノは東京だけでなく全国に“拡散”した。
そして、1973年(昭和48年)に豊島区の皮切りに、1984年(昭和59年)には東京の花に指定された。
染井稲荷の大きな写真大きな写真
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毎年桜の季節になると、染井よしの町会(駒込四丁目、五丁目、六丁目)によって催し物がある。

染井銀座商店街

染井銀座商店街
染井銀座商店街の道ばたに35個のソメイヨシノの植木鉢が置かれ、ここでも桜を楽しむことができる。
染井銀座商店街の大きな写真大きな写真
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霜降銀座商店街

しもふり銀座商店街
染井銀座商店街の途中から霜降銀座商店街になる。ここは北区だ。

さて、ソメイヨシノの寿命は50ないし70年と言われている。
戦後60年余り。東京にあるソメイヨシノの多くは、これから一斉に寿命を迎えることになる。
しもふり銀座商店街の大きな写真大きな写真
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旧古河庭園

旧古河庭園
しもふり銀座を抜け、本郷通りを北へ向かうと、都立旧古河庭園(東京都北区西ヶ原一丁目)が見えてくる。

この庭園は、1917年(大正6年)に古河虎之助男爵の邸宅として現在の形に整えられた。
この辺りには緩いアップダウンがある。古河庭園はその斜面を巧みに利用し、高台に洋館を、斜面に洋風庭園を、低地部には日本庭園を配している。
旧古河庭園の大きな写真大きな写真
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【写真:ままぱふぅ
ソメイヨシノ 関連

参考書籍

表紙 桜が創った「日本」
著者 佐藤 俊樹
出版社 岩波書店
サイズ 新書
発売日 2005年02月18日頃
価格 946円(税込)
ISBN 9784004309369
一面を同じ色で彩っては、一斉に散っていくソメイヨシノ。近代の幕開けとともに日本の春を塗り替えていったこの人工的な桜は、どんな語りを生み出し、いかなる歴史を人々に読み込ませてきたのだろうか。現実の桜と語られた桜の間の往還関係を追いながら、そこからうかび上がってくる「日本」の姿、「自然」の形に迫る。
 

染井稲荷へのアクセス

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目的地:染井稲荷

近隣の情報

参考サイト

(この項おわり)
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