
襟裳岬
襟裳岬(北海道幌泉郡えりも町字岬)は、北海道の背骨と呼ばれる日高山脈が次第に標高を下げ、そのまま太平洋に沈んでいく線上にある岬である。長年に渡って荒波に洗われているにもかかわらず、2kmの沖合まで岩礁が続く。
大きな写真

(2560×1708 ピクセル, 1676 Kbyte)

襟裳岬
海底に没した後も、さらに8kmも岩礁が続いている。

襟裳岬の名前は、アイヌ語で岬を意味する「エンルム」に由来すると言われ、2010年(平成22年)8月にアイヌ民族の精神的・聖地的に重要な場所であるとして、国指定の名勝ピリカ・ノカに指定された。

岬の周囲は高さ60メートルに及ぶ断崖となっており、三段に及ぶ海岸段丘が発達している。眺望が開けており、日高山脈襟裳国定公園の中核を成す観光地だ、

襟裳岬の名前は、アイヌ語で岬を意味する「エンルム」に由来すると言われ、2010年(平成22年)8月にアイヌ民族の精神的・聖地的に重要な場所であるとして、国指定の名勝ピリカ・ノカに指定された。

岬の周囲は高さ60メートルに及ぶ断崖となっており、三段に及ぶ海岸段丘が発達している。眺望が開けており、日高山脈襟裳国定公園の中核を成す観光地だ、

百人浜第二展望台

風の館
その昔、海の難所として知られる襟裳岬周辺海域で、南部落の大型船が遭難し多くの水死体がこの浜に打ち上げられ、わずかばかりの生き残った人も、飢えと寒さで亡くなり、その数が百人にもなったために名付けられたという。

青春☆こんぶ

風の館
風の館は、日高山脈襟裳国定公園内にあり、周囲の景観や植生に考慮し、また、すぐ隣にえりも岬灯台があるため、灯台の明かりを遮らないようにということで、地下に埋もれるような形で設計されている。

襟裳神社

襟裳神社
立地条件が悪く祭祀に不便であることから、1875年(明治8年)に別の場所に遷座したのだが、村内に火災・悪疫が流行し、これが神威によるものと考えられ、1892年(明治25年)頃に現在地(北海道幌泉郡えりも町字岬170-10)に遷座した。
1814年(文化11年)に祠があった場所には、写真の石碑が建立された。
1814年(文化11年)に祠があった場所には、写真の石碑が建立された。

突端
襟裳岬は大きく3つのエリアがある。駐車場とお土産店のエリア、展望台と風の館、灯台からなるメインのエリア、そして岬の突端のエリア。灯台がある場所が突端ではないところに注意。

突端
展望台から突端まで遊歩道が整備されているのだが、片道400メートルの下り坂のため、歩きやすく滑りにくい靴で向かおう。

突端
この遊歩道からは、襟裳岬西側の荒々しい海岸線と、その延長上にアポイ岳を望むことができる。

歌碑

襟裳岬灯台

襟裳岬灯台
太平洋戦争の爆撃で破壊され、1950年(昭和25年)に再築された。
2005年(平成17年)4月に無人化した。2009年(平成21年)4月に無線方位信号所(レーマークビーコン)廃止。2016年(平成28年)9月30日に船舶気象通報施設を廃止。
2005年(平成17年)4月に無人化した。2009年(平成21年)4月に無線方位信号所(レーマークビーコン)廃止。2016年(平成28年)9月30日に船舶気象通報施設を廃止。

夕陽
太平洋に沈む夕陽。
北海道の最南端の岬であることから、水平線からのぼる朝陽をみることもできる。
北海道の最南端の岬であることから、水平線からのぼる朝陽をみることもできる。

夕陽
2024年(令和6年)6月25日に国立公園に昇格。陸域245,668ha(海域6,510ha)で、国定公園のエリアから広さが2倍以上に拡大した。陸域は北海道の大雪山国立公園(226,764ha)を上回り国内最大である。

様似駅
日高本線の鵡川駅より南側は、2015年(平成27年)1月に発生した高波で線路が被災して運休となり、そのまま復旧することなく2021年(令和3年)4月1日に廃止となった。これにともない様似駅も廃駅となった。
交通アクセス
【バス】
- JR広尾駅からJR北海道バス・日勝線で約1時間
- 帯広から約130km
(この項おわり)