襟裳岬は日高山脈が太平洋に沈む線上にある

2023年9月24日 撮影
襟裳岬
襟裳岬
襟裳岬 (えりもみさき) (北海道幌泉郡えりも町字岬)は、北海道の背骨と呼ばれる日高山脈が次第に標高を下げ、そのまま太平洋に沈んでいく線上にある岬である。長年に渡って荒波に洗われているにもかかわらず、2kmの沖合まで岩礁が続く。
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襟裳岬
襟裳岬
海底に没した後も、さらに8kmも岩礁が続いている。

襟裳岬の名前は、アイヌ語で岬を意味する「エンルム」に由来すると言われ、2010年(平成22年)8月にアイヌ民族の精神的・聖地的に重要な場所であるとして、国指定の名勝ピリカ・ノカに指定された。

岬の周囲は高さ60メートルに及ぶ断崖となっており、三段に及ぶ海岸段丘が発達している。眺望が開けており、日高山脈襟裳国定公園の中核を成す観光地となっている。
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百人浜第二展望台 - 襟裳岬
百人浜第二展望台
百人浜第二展望台は、襟裳岬から十勝方面に約10km続く砂浜「百人浜」に設けられた展望台で、その美しさとは逆に悲しい言い伝えが残されている。
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風の館 - 襟裳岬
風の館
その昔、海の難所として知られる襟裳岬周辺海域で、南部落の大型船が遭難し多くの水死体がこの浜に打ち上げられ、わずかばかりの生き残った人も、飢えと寒さで亡くなり、その数が百人にもなったために名付けられたという。
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青春☆こんぶ - 襟裳岬
青春☆こんぶ
襟裳岬は、風速10メートル以上の風の吹く日が年間260日以上もある、日本屈指の強風地帯だ。
風の館の館内では、風速25メートルの風を体験することができる。真っ直ぐに立つことも難しく、声を出しても声にならない風の強さを体験できる。

青春☆こんぶは、2008年(平成20年)11月に、藤田昆布加工場代表取締役の藤田氏と、お刺身旅館さんすいかくの田中氏がタッグを組み、萌え画パッケージの日高昆布製作を企画したのがはじまり。架空の学校である襟裳岬中学校を舞台に、岬襟萌 (みさき えりも) と、千島霧 (ちしま きりか) という2人の生徒の日常を描くイラストや4コマ漫画だ。
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風の館 - 襟裳岬
風の館
風の館は、日高山脈襟裳国定公園内にあり、周囲の景観や植生に考慮し、また、すぐ隣にえりも岬灯台があるため、灯台の明かりを遮らないようにということで、地下に埋もれるような形で設計されている。
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襟裳岬
襟裳岬
風が作るカルマン渦をシンボルに、建物全体もカルマン渦をイメージして造られている。
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襟裳神社 - 襟裳岬
襟裳神社
襟裳神社の旧鎮座祠跡の石碑と鳥居がある。
1814年(文化11年)に、亀田郡函館の嶋屋佐兵衛が漁場請負人となることにあたり、襟裳岬の岩の上に祠を建立し、保食神 (うけもちのかみ) を祀り、航海の安全と漁場繁栄の守護神としたのがはじまり。
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襟裳神社 - 襟裳岬
襟裳神社
立地条件が悪く祭祀に不便であることから、1875年(明治8年)に別の場所に遷座したのだが、村内に火災・悪疫が流行し、これが神威によるものと考えられ、1892年(明治25年)頃に現在地(北海道幌泉郡えりも町字岬170-10)に遷座した。
1814年(文化11年)に祠があった場所には、写真の石碑が建立された。
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突端 - 襟裳岬
突端
襟裳岬は大きく3つのエリアがある。駐車場とお土産店のエリア、展望台と風の館、灯台からなるメインのエリア、そして岬の突端のエリア。灯台がある場所が突端ではないところに注意。
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突端 - 襟裳岬
突端
展望台から突端まで遊歩道が整備されているのだが、片道400メートルの下り坂のため、歩きやすく滑りにくい靴で向かおう。
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突端 - 襟裳岬
突端
この遊歩道からは、襟裳岬西側の荒々しい海岸線と、その延長上にアポイ岳を望むことができる。
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歌碑 - 襟裳岬
歌碑
襟裳岬には歌碑が2つある。
1961年(昭和36年)に日本コロンビアから発売された島倉千代子の『襟裳岬』(作詞:丘灯至夫、作曲:遠藤実)は100万枚を売り上げ、1961年(昭和36年)と1974年のNHK紅白歌合戦の紅組トリでの歌唱となった。
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襟裳岬灯台 - 襟裳岬
襟裳岬灯台
フォークブームの1974年(昭和49年)1月にビクターから発売された森進一の『襟裳岬』(作詞:岡本おさみ、作曲:吉田拓郎、編曲:馬飼野俊一)も100万枚以上を売り上げ、1974年(昭和49年)の日本レコード大賞と日本歌謡大賞を受賞した。1974年(昭和49年)のNHK紅白歌合戦では、紅組トリが島倉千代子の「襟裳岬」、白組トリが森進一の「襟裳岬」だった。

襟裳岬灯台は、塔高14メートル、海面から灯光までの高さは73メートルもある白亜の灯台で、1889年(明治22年)11年に初点灯した。光度は72万カンデラで、22海里先まで到達する。
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襟裳岬灯台 - 襟裳岬
襟裳岬灯台
太平洋戦争の爆撃で破壊され、1950年(昭和25年)に再築された。
2005年(平成17年)4月に無人化した。2009年(平成21年)4月に無線方位信号所(レーマークビーコン)廃止。2016年(平成28年)9月30日に船舶気象通報施設を廃止。
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夕陽 - 襟裳岬
夕陽
太平洋に沈む夕陽。
北海道の最南端の岬であることから、水平線からのぼる朝陽をみることもできる。
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夕陽 - 襟裳岬
夕陽
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様似駅 - 襟裳岬
様似駅
様似駅 (さまにえき) (北海道様似郡様似町大通1丁目)は、1937年(昭和12年)8月に国鉄日高本線の駅として開業した。ここからバスで襟裳岬まで37kmだった。
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日高本線の鵡川駅 (むかわえき) より南側は、2015年(平成27年)1月に発生した高波で線路が被災して運休となり、そのまま復旧することなく2021年(令和3年)4月1日に廃止となった。これにともない様似駅も廃駅となった。

交通アクセス

【バス】
  • JR広尾駅からJR北海道バス・日勝線で約1時間
【自動車】
  • 帯広から約130km
 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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