ハチ公バスは渋谷区のコミュニティバス

忠犬ハチ公をイメージ
ハチ公バス
2005年12月11日 国立代々木競技場バス停 写真:ままぱふぅ
来年は戌年ということで、渋谷区のコミュニティバス「ハチ公バス」の写真を撮りに出かけた。本町・笹塚循環「春の小川ルート」と恵比寿・代官山循環「夕やけこやけルート」の2ルートがあり、料金はいずれも100円均一。
車体は、ムーバスなどの他のコミュニティバスに比べ小さく、渋谷の狭い路地でも入っていける。
ハチ公バスの大きな写真大きな写真
(1052×1280 ピクセル, 539 Kbyte)
ハチ公
2005年12月11日 渋谷駅 写真:パパぱふぅ
バスの正面を撮って気になったので、渋谷駅前まで行って確認したところ、たしかにハチ公の左耳は折れていた。きめ細かなキャラクタ・デザインである。

現在、渋谷駅前にあるハチ公の銅像は、1948年(昭和23年)に再建された2代目にあたる。
初代の忠犬ハチ公像は、1934年(昭和9年)3月10日に除幕式が行われた。ハチ自身も出席した(黄寅吉さん、情報提供をありがとうございました)。ハチはちょうど1年後の1935年(昭和10年)3月に死去し、ハチ公像の周囲は花環で埋まったという。

初代ハチ公像は、終戦の前日、1945年(昭和20年)8月14日に金属供出のために溶解された。機関車の部品として東海道線を走ることになる。
ハチ公バス
2005年12月11日 国立代々木競技場バス停 写真:ままぱふぅ
ハチ公バスの大きな写真大きな写真
(1280×815 ピクセル, 514 Kbyte)
ハチ公バス
2005年12月11日 国立代々木競技場バス停 写真:ままぱふぅ
この日は、「春の小川ルート」に乗って笹塚駅を通って一周したのだが、1時間強のルートである。長い‥‥。
横から見るとタイヤが小さいのが分かる。乗り心地は、それなりである。さすがに1時間は疲れる‥‥。

バス停も、左のように特徴のあるものになっている。
ハチ公バス
2013年5月1日 渋谷駅 写真:ままぱふぅ
PASMOなどのICカードが使用できるが、東京都シルバーパスは使用できない。

運行は、東急トランセ、京王バス東、フジエクスプレスに委託している。
車両は、ムーバスと同様、ポンチョ(日野自動車)を使用しており、渋谷の狭い路地でも入っていける。
ハチ公バスの大きな写真大きな写真
(1981×1920 ピクセル, 936 Kbyte)
ハチ公バス
2013年5月1日 渋谷駅 写真:ままぱふぅ
2003年(平成15年)3月に運行開始した、夕やけこやけルートの初代ポンチョ車両は、2008年(平成20年)3月に2代目ポンチョに置き換えられた。
ハチ公バスの大きな写真大きな写真
(1920×1080 ピクセル, 645 Kbyte)
ハチ公バス
2013年5月1日 渋谷駅 写真:ままぱふぅ
一般公募で、渋谷駅前の待ち合わせスポットとしても有名な忠犬ハチ公に因んだ愛称となった。
ハチ公バスの大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 696 Kbyte)
路線は4つあり、バスの色が異なる。
  1. 恵比寿・代官山循環(夕やけこやけルート)(赤色)
  2. 丘を越えてルート(上原・富ヶ谷ルート) (オレンジ色)
  3. 本町・笹塚循環(春の小川ルート)(オレンジ色)
  4. 神宮の (もり) ルート(神宮前・千駄ヶ谷ルート)(青色)

忠犬ハチ公

秋田犬のハチは、1923年(大正12年)、秋田県大館市の農家に生まれた。生後間もなく、愛犬家の東京帝国大学の上野英三郎教授に引き取られた。上野教授は渋谷駅から5分のところに住んでおり、出かける時には渋谷駅までハチを伴うことも多かった。しかし、上野教授はハチを飼い始めた翌年の1925年(大正14年)5月に急死してしまう。
上野英三郎の死後も渋谷駅前で亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿が、1932年(昭和7年)10月4日の朝日新聞に掲載され、ハチは一躍時の“犬”となった。ハチの渋谷駅通いは、1935年(昭和10年)3月にハチが亡くなるまで続いた。
ハチ公 関連
(この項おわり)
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