私たちは爆弾よりも水がないほうが怖い

アフガニスタン難民

発言者

  アフガニスタン難民 (あふがにすたんなんみん) アフガニスタン難民
   
   
  2007年2月24日

場面

野口健のガイア礼賛(日本経済新聞、2007年(平成19年)2月24日夕刊)より。

登山家の野口健がアフガニスタンのヒンズークシュ山脈の麓を訪れた際、乾いた川跡が残るのみで、人々は難民キャンプに逃れていたという。いわゆる「生態難民」である。
現地の人は、「いつからか冬になっても山が白くならない。雪が積もらない。川や井戸も枯れ始めた。地雷なら片足で済むかもしれないが、水がなくなれば確実に死ぬ」と語った。

コメント

地球温暖化の原因を、人類の放出する二酸化炭素に帰着させるのには疑問だと、以前にも書いた

野口健は、「我々、先進国の人間が開発に明け暮れ、経済大国に向けがむしゃらに走り続けている間に、その代償として巡り巡ってこの地に干ばつがもたらされたのだ」と書いているが、責任の一端は我々にあるのかもしれない。しかし、それが全部なのだろうか。我々が二酸化炭素の排出量を抑えれば、アフガニスタンに水が戻るのだろうか。
地球が温暖化と寒冷化を繰り返していることは、考古学や地学の研究から明らかになっている。砂漠化も、またしかり。それが大自然の摂理であるなら、ヒューマニズムで解決できるような次元の話ではない。
一方で、水が枯渇すれば、彼らは確実に滅びる。

環境問題の難しいところは、結果は科学的に予想できるものの、原因が科学的に特定できないところにある。さらに、個人/組織/国家の思惑によって、原因が特定しにくくなる場合もある。
われわれ日本人は、彼らに比べたら豊かな生活をしている。常に彼らの立場で物事を考える余裕を持ちつつ、自分が納得できる原因については地道に取り除いていくのが、われわれのやるべき事だろう。
(この項おわり)
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