頑張っている人に頑張れとは言わない

柳井操
柳井操
柳井操 (やない みさお) 

中村病院(大分県別府市)の看護主任。

発言日:2025年5月3日

場面

JAXAで H3ロケット開発のプロジェクトマネージャを担当した岡田匡史 (おかだ まさし) さんが学生の頃、乗っていたハンググライダーが墜落し大怪我を負い、中村病院に入院した。そのとき看護主任だった柳井操さんは、入院中の岡田さんに毎朝「どうね」と声をかけた。頑張っている人に頑張れとは言わないという。
NHKの番組『新プロジェクトX~挑戦者たち~ H3ロケット宇宙への激闘~革命エンジンに挑んだ技術者たち~』において、次のように語った。
1日中寝てる生活でしたけど、生活が明るくて、そしてめげない。
とにかくしっかりした、人に嫌な顔を見せない頑張り屋さんでした。
2023年(令和5年)3月7日に、H3ロケット試験機1号機の打ち上げに失敗した日の記者会見がテレビ中継され、岡田さんの青ざめた姿を見た柳井さんは次のようなメールを送った。
今晩は、長い一日お疲れさまです。
大変な仕事どうぞ体をお大事にして下さい。これからも応援しています。
新プロジェクトX~挑戦者たち~ H3ロケット宇宙への激闘~革命エンジンに挑んだ技術者たち~」(NHK,2025年5月3日)

背景

人類を初めて月面に送り込んだ NASAのアポロ11号の打ち上げに感動し、宇宙開発を目指して東京大学航空学科に進学した岡田匡史さんは、ハンググライダーにのめり込んだ。だが、大学4年の時、別府で上空300メートルから墜落してしまう。奇跡的に一命は取り留めたが、絶対安静で東京に戻ることが出来ず、大学を2年留年することになってしまう。
岡田さんは当時を「世の中が動いて、時間が前に進んでいるのに、自分だけそこにポツンといる感じ」と振り返る。
焦る岡田さんに、当時、看護主任だった柳井操さんは、毎朝「どうね」と声をかけた。頑張っている人に頑張れとは言わないという。岡田さんが退院するときは、柳井さんは駅まで見送りに来てくれた。

岡田さんは1989年(昭和64年)に宇宙開発事業団に入り、2015年(平成27年)7月に次期主力ロケットとして期待される H3ロケットのプロジェクトマネージャに就任した。
だが、第1段の新開発のエキスパンダーブリードサイクルの「LE-9エンジン」の開発は難航し、当初計画の2020年(令和2年)から大幅に遅れ、2023年(令和5年)3月7日に試験機1号機を打ち上げた。ところが、H-IIA/Bで使用され実績があった第2段の LE-5Bエンジンに点火せず失敗。

柳井さんは、岡田さんの退院後も、岡田さんの父親と手紙のやり取りを続けていた。失敗会見の様子をテレビで見た柳井さんは、いても立ってもいられず、岡田さんにメールしたという。
全国からH3ロケット開発委チームに応援のメッセージが届き、岡田さんは1通1通に直筆のメッセージを返した。
そして、2024年(令和6年)2月17日の試験機2号機の打ち上げで、人工衛星の軌道投入に成功する。
(この項おわり)
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