『池袋通り魔との往復書簡』――自己愛的人格障害

青沼陽一郎=著
表紙 池袋通り魔との往復書簡
著者 青沼陽一郎
出版社 小学館
サイズ 文庫
発売日 2002年05月
価格 586円(税込)
ISBN 9784094026962
本来であれば、子どもが大人になるにつれ、社会の中に身を投じ、そこで自身の能力のなさや立場、他人との関係を認知し、新しい人格を築いていく。ところが、これが正常に発達できない人たちも増えてきている。(214ページ)

概要

殺人のイラスト
2008年6月8日に発生した「秋葉原通り魔事件」は、1999年9月に発生した「池袋通り魔殺人事件」に酷似している。本書は、池袋通り魔事件を引き起こした造田博・死刑囚と、作者との間に交わされた往復書簡をもとに、犯人の心理に迫るドキュメンタリーである。
ちょうど6月17日、1988〜89年にかけて起きた連続幼女誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤・死刑囚の死刑が執行された。私の中では、あのときから奇妙な感覚が続いている――犯人が残したメッセージが理解できないのである。
本書でも指摘されていることだが、犯人の手紙の一文一文を取り出すと、日本語として成り立っている。文法的に怪しい部分はあるものの、少なくとも意味は理解できる。ところが、複数の文が集まり“文章”となると、とたんに理解不能となるのである。ストーリーがない、相手に伝えたいという意志が感じられない――。

宮崎死刑囚、造田死刑囚、そして秋葉原で事件を起こした加藤智大容疑者だけではない。ネット上のブログを覗くと、理解不能な文章がゴロゴロ出てくる。
これは一体どうしたことだろうか。
ヒトは、誰かに何かを伝えたいために“文章”を書くのではないだろうか。世界中に公開されているブログであれば、なおさらのことだ。プライベートな日記ですら、10年後、20年後の自分が読んでも分かるように文章を書くものである。
いま、この瞬間の自分の内面を生のままさらけ出して、一体どうしたいというのだろうか

彼らの内面には理想的な思いはある。この国の将来を憂う気持ちもある。だが、自分の世界に閉じこもり、他との積極的コミュニケーションをとりたがらない。コミュニケーションをとることで、自分が傷つきたいないから――著者は、「自己愛的人格障害」と指摘するが、では、ネット上には、そんな障害者がゴロゴロいるということなのか。
自己愛的人格障害――理想は語るが、理想通り行動できない自分のことは棚に上げる――そういえば、霞ヶ関や永田町にも、この種の障害者が多いように感じられる。
理想を目指すことは尊いことだ。理想を目指して頑張り、傷ついた者は助けてやらなければならない。それができないようでは、こうした事件は増えることはあっても、減ることはないだろう。
(2008年6月18日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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