『ガロを築いた人々』――全共闘世代とネット民

権藤晋=著
表紙 ガロを築いた人々
著者 権藤晋
出版社 ほるぷ出版
サイズ 単行本
発売日 1993年04月
価格 1,494円(税込)
ISBN 9784593534289
藤川治水さんが『思想の科学』誌上に「白土三平論」を発表したのは、安保の嵐が去って1年がすぎた頃だったろうか。私は、藤川論文を読んで大変に感動した。『忍者武芸帳』を60年安保のアナロジーと見ることについては首を傾げたかったが、ドラマツルギーを説く場面では、心動かされるものが多々あった。そして、知らなかったことを不覚に思った。(11ページ)

概要

2021年2月15日、「カムイ伝」など忍者を扱った劇画作品で人気を博した漫画家の白土三平 (しらと さんぺい) さんが逝去した。「カムイ伝」を連載する場として、長井勝一さんが1964年に興した漫画雑誌『ガロ』の編集者として4年間、青林堂に勤めた権藤晋 (ごんどう すすむ) さんが著した本書を読み返した。権藤さんが『ガロ』に携わった1966年9月から1971年12月までと、その後、自らが立ち上げた漫画雑誌『夜行』に掲載した漫画家の思い出が綴られている。登場する漫画家は――白土三平、水木しげるつげ義春滝田ゆうつげ忠男池上遼一佐々木マキ林静一鈴木翁二 (すずき おうじ) 三橋乙耶(シバ)石井隆菅野修伊藤重夫羽鳥ヨシュア湊谷夢吉、そして、評論家の石子順造 (いしこ じゅんぞう) ――すでに鬼籍に入られた方が多い。コロナ禍の不安が蔓延する中、『ガロ』の時代を思い起こしてみたい。

レビュー

前述の通り、1964年7月、白土三平の「カムイ伝」を柱に、まんが家登竜門の月刊誌として『ガロ』が創刊された。
白戸さんとともに貸本漫画に作品を発表していた水木しげるさんは、「忍者無芸帳」「忍者は一度勝負する」「忍法屁話」といった、白土さんを一見皮肉ったようなタイトルの作品を発表した。権藤さんによれば、これらは、水木さんが「オドケタ姿勢をまといつつ、池田高度成長政策下に“毒ガス”をまき散らした」(27ページ)のだという。水木作品としてメジャーな「ゲゲゲの鬼太郎」をはじめ、あちらこちらに登場するねずみ男が毒ガス犯であることは論を待たない。
ねじ式」で不動の地位を築いたつげ義春さんは、水木さんのアシスタントだった。権藤さんは、つげさんのことを物静かで、心優しい人物であり、「作品から受ける印象と作家本人がこれほど一致している人も珍しい」(55ページ)と評する。一方、水木さんは「つげさんが死んだらマンガで画きたいことが盛り沢山あるのですが、まだ死にそうにないですか?」(98ページ)と、奇人・変人の集まりであるアシスタントをいじるのが大好きなご様子。
「カムイ伝」「カムイ外伝」の読者はご承知の通り、忍者というアウトローを描くことで、読者に反権威・反権力を訴えかけていた。水木作品に登場する妖怪も、また、アウトローな存在である。

つげ義春さんの弟、つげ忠男さんが『ガロ』に作品を発表しつづけた3年間は、ベトナム反戦運動や70年安保で社会が騒然としていた時代だ。遡れば、1966年、白土三平ファンだった権藤さんが青林堂に入社するとき、「社員にしてくれないと社屋に火をつける」と言い放ったのも、当時の世相が為せる技だろう。
漫画評論家の石子順造さんは、マルクス主義運動の盛んな頃、東大経済学部に籍をおき、日本共産党員でもあった。裕福な実家と絶縁してまで貧しい評論家の道を選んだ石子さんは、典型的な全共闘世代だ。

権堂さんは、全共闘世代は〈死〉の観念に強く支配されていたと指摘する。『ガロ』の漫画家たちは、あまり酒は飲まない、群れることを好まない。後年、『ガロ』がマスコミで取り上げられることはあったが、1997年に休刊するまで、オンタイムで読んだ人はどのくらいだろうか。私にしても、10冊も読んで記憶がない。
ガロ』は最後までマイナーであり続けた。
70年代安保の当時、集団で街に繰り出して破壊活動を行っていた連中が偽活動家であったように、いま、リアルやネットでデモ活動をしているのも偽リベラリストではなかろうか。一方、マイナーな存在であることを厭わず、酒を飲まず、群れることをせず、常に〈死〉を意識している――私は、コロナ禍でリモートワークを謳歌しているネット民の皆さんのことだと思う。
(2021年12月18日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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