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畏るべき昭和天皇 | ||
著者 | 松本健一 | ||
出版社 | 新潮社 | ||
サイズ | 文庫 |
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発売日 | 2011年01月 | ||
価格 | 691円(税込) | ||
ISBN | 9784101287324 |
古代はいざ知らず、日本の歴史のなかで天皇が兵馬の大権を握ったのは、後醍醐天皇のときだけである。(43ページ)
概要
レビュー
松本さんは天皇の政治姿勢は、皇太子自体に訪れたイギリスの影響を強く受けており、立憲君主制を理想としていたと推測する。それを「リアリスティックな政治感覚」(61ページ)と呼ぶ。
天皇が政治・軍事の表舞台に登場するのは後醍醐天皇の時だけで、昭和天皇にしても「国内の権力闘争からは出来るかぎり遠ざかることが、皇室の永続性を保証する」(396ページ)ことを第一義に考えていただろうと指摘する。
そのため、「日清戦争の『開戦の詔勅』には、大東亜戦争のような“聖戦”意識はなく、西洋ふうの『文明国』として『国際法』にそむかないように、『一切の手段を尽』してたたかえ、とのべられている」(94ページ)という。日露戦争もほぼ同じである。残念なことに、太平洋戦争の時は、「東条の頭には、昭和天皇とちがい、国際法の遵守などという発想が一切なかった」(104ページ)ため、あのような事態に陥ってしまった。
それでも昭和天皇は孤軍奮闘し、「君臨すれども統治せず」を理想としながらも、「みずからの『天皇の国家』という意識において、公式に『戦争の終結』を口にした」(306ページ)のである。
その意味において松本さんは、「昭和天皇に戦争責任はあるか。むろん、ある」(205ページ)という立場である。

私の昭和天皇の記憶は、もちろん高度成長期以降のものでしかないが、一人で伊豆へ向かっていた際、たまたまお召し列車とすれ違ったことがあった。そしてちょうどホームの向かい側に、天皇・皇后両陛下の車両が止まった。その瞬間はいまでも鮮明に覚えている。私の座席の近くに、自然に乗客が集まってきて一生懸命に手を振る。本の一瞬の出来事だったが、まるで異世界に吸い込まれたかのような感じがした。
昭和63年から64年にかけての時もそうだった。国民すべてが昭和天皇の容態に一喜一憂し、大喪の礼の時には未だかつて感じたことがないほどのしんみりとしたムードになった。
それだけでも「畏るべき」存在である。
天皇が政治・軍事の表舞台に登場するのは後醍醐天皇の時だけで、昭和天皇にしても「国内の権力闘争からは出来るかぎり遠ざかることが、皇室の永続性を保証する」(396ページ)ことを第一義に考えていただろうと指摘する。
そのため、「日清戦争の『開戦の詔勅』には、大東亜戦争のような“聖戦”意識はなく、西洋ふうの『文明国』として『国際法』にそむかないように、『一切の手段を尽』してたたかえ、とのべられている」(94ページ)という。日露戦争もほぼ同じである。残念なことに、太平洋戦争の時は、「東条の頭には、昭和天皇とちがい、国際法の遵守などという発想が一切なかった」(104ページ)ため、あのような事態に陥ってしまった。
それでも昭和天皇は孤軍奮闘し、「君臨すれども統治せず」を理想としながらも、「みずからの『天皇の国家』という意識において、公式に『戦争の終結』を口にした」(306ページ)のである。
その意味において松本さんは、「昭和天皇に戦争責任はあるか。むろん、ある」(205ページ)という立場である。

私の昭和天皇の記憶は、もちろん高度成長期以降のものでしかないが、一人で伊豆へ向かっていた際、たまたまお召し列車とすれ違ったことがあった。そしてちょうどホームの向かい側に、天皇・皇后両陛下の車両が止まった。その瞬間はいまでも鮮明に覚えている。私の座席の近くに、自然に乗客が集まってきて一生懸命に手を振る。本の一瞬の出来事だったが、まるで異世界に吸い込まれたかのような感じがした。
昭和63年から64年にかけての時もそうだった。国民すべてが昭和天皇の容態に一喜一憂し、大喪の礼の時には未だかつて感じたことがないほどのしんみりとしたムードになった。
それだけでも「畏るべき」存在である。
(2012年3月3日 読了)
参考サイト
- 西暦1928年 - 昭和天皇、即位の大礼/張作霖爆殺事件:ぱふぅ家のホームページ
- 武蔵陵墓地(多摩御陵)には大正・昭和天皇が眠る:ぱふぅ家のホームページ
(この項おわり)