別子銅山記念館で住友グループの歴史を学ぶ

2007年8月1日 撮影
別子銅山記念館
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大山積神社
別子銅山記念館(愛媛県新居浜市角野新田町3−13)は、大山積神社 (おおやまづみじんじゃ) の境内の中にある。道路に面しているのは、神社への参道だ。
別子銅山記念館は、1691年(元禄4年)の開坑から1973年(昭和48年)の閉山に至るまで、住友グループが一貫して経営してきた銅山の歴史を保存展示するために、1975年(昭和50年)に開館した。
タクシーに乗り、新居浜駅から別子銅山記念館へ向かった。

新居浜駅→別子銅山記念館: 4.0キロメートル
(車:6分, 自転車:16分, 徒歩:48分)
別子銅山記念館
建物は、鉱山をイメージし、地中に埋められたようなデザインになっている。
そして、屋根全面がサツキで覆われている。毎年5月になると、真っ赤に燃え上がったようなサツキの名所として市民に親しまれているという。

館内には、住友の歴史を紹介する「泉屋歴史コーナー」などがある。教科書では学べない歴史が一杯。残念ながら、館内は撮影禁止。
ここで働いた人たちの生活をしのばせる「生活風俗コーナー」のモノクロ写真は、アニメ映画「天空の城ラピュタ」の冒頭を彷彿とさせる。
第1号機関車-住友別子鉱山鉄道
記念館の展示室の天井には直径約40センチの穴があけられ、別子銅山が開坑許可を受けた5月9日の正午に日光が差し込むように設計されている。この自然の仕掛けは、知る人ぞ知る観光スポットとなり、毎年、神秘の儀式を目当てにファンらが訪れているという。(開坑日祝う 幻想的空間,愛媛新聞 2009年5月10日)

1977年(昭和52年)までは、別子銅山から海寄りの現在住友化学のある惣開町および現在の製銅工場のある西原および新居浜駅の方まで住友別子鉱山鉄道(別子鉄道)で繋がっていた。当時の蒸気機関車が、大山積神社の境内に静態保存されている。
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第1号機関車-住友別子鉱山鉄道
この蒸気機関車は、1893年(明治26年)に開通した住友別子鉱山鉄道用にドイツから購入した第1号機関車(別子1号)である。
鉱山、林業、発電業だけでなく、鉄道にまで住友井桁マークが記されている。かつての新居浜が住友村だったことを彷彿とさせる。
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電気機関車ED-104-住友別子鉱山鉄道
この電気機関車ED-104は、1950年(昭和25年)の鉄道電化後、鉱石運送増強のため部品を購入し、何と別子事業所で組み立ててしまった自社製電気機関車である。何でも自家薬籠の物としようとする住友の心意気を感じる。
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現在は住友金属工業(現・新日鉄住金)が各社に台車を納入している。新幹線の台車も住友金属製だ。
大山積神社
大山積神社の鳥居の脇には「作業安全」の石柱がある。鉱山マンの安全を祈願したものであろう。

2007年(平成19年)7月、石見銀山世界遺産に登録されたが、別子銅山も世界遺産への登録活動を展開しているとのこと。
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交通アクセス

記念館の方によると、神社の境内にあるので目立たないデザインにし、Google Mapsで見てもわからないほどだという。実際に見てみると――たしかに目立たない。
鉱山をイメージしたというより、秘密の地下基地である。

近隣の情報

(この項おわり)
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