大きな写真
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1397年(応永4年)、室町幕府3代将軍・足利義満が、河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、北山山荘(北山殿)として造営したのが始まりである。
1408年(応永15年)、義満が死去すると、遺言に従って舎利殿を残して解体され、禅寺となった。義満の法名、鹿苑院殿から2文字をとって鹿苑寺と名付けられた。
三層目の屋根から張り出している金色の棒は、雨樋である。
三層目の屋根から張り出している金色の棒は、雨樋である。
金閣の一層、二層は和風仏堂である。三層は中国風になっており、屋根の四隅が跳ね上がっている。このため、雨水が屋根の中央に集まり滝のように流れてしまうことを回避するため、このような長い雨樋を用意したと考えられている。
1950年(昭和25年)、放火により焼失するが、1955年(昭和30年)に再建。
1986年(昭和61年)から1年8ヶ月をかけて昭和大修理が行われ、厚さ0.45~0.55μmという通常の5倍の厚さの金箔が貼り直された。重量にして約20kgにも及んだ。
1986年(昭和61年)から1年8ヶ月をかけて昭和大修理が行われ、厚さ0.45~0.55μmという通常の5倍の厚さの金箔が貼り直された。重量にして約20kgにも及んだ。
舎利殿の頂上には、正面(南方)を向く、高さ108cmの黄金の鳳凰が配置されている。鳳凰は、天子の出現を予言するとされており、義満が天皇の座を狙っていたことと関連するという考えがある。
だが、義満が溺愛した四男・義嗣は、長男・義持によって殺され、義持が4代将軍となり28年の長期政権を樹立する。
だが、義満が溺愛した四男・義嗣は、長男・義持によって殺され、義持が4代将軍となり28年の長期政権を樹立する。
書院の庭に植えられているのは陸舟の松と呼ばれ、義満が育てた盆栽を地面に植え替え、船の形に仕立て上げた松である。よって、樹齢は600年を超える。この松は西方を向いており、義満はこの船に乗って西方にある極楽浄土を目指したと伝えられている。
不動堂は舎利殿より古く、西園寺のお堂として1225年(嘉永元年)に建立されたと伝えられている。応仁の乱の際に焼失するが、安土桃山時代に宇喜多秀家により再建され、現在にその姿を伝えている。
空海が彫ったとされる本尊・石造不動明王は秘仏で、1年に2回しか開帳されない。
空海が彫ったとされる本尊・石造不動明王は秘仏で、1年に2回しか開帳されない。
不動堂の脇には、おみくじ販売機があり、英語、中国語、韓国語で記されたおみくじを買うことができる。
英語では oracle と記されているが、これはギリシア神話における「神託」という意味になる。
英語では oracle と記されているが、これはギリシア神話における「神託」という意味になる。
総門から唐門に至る参道の両脇には、芝生というより、適度に苔が生えた良い庭になっている。
カエデが多く植えられており、紅葉のスポットでもある。
カエデが多く植えられており、紅葉のスポットでもある。
参道を過ぎると、拝観料を払う。すると、写真のような御札をもらえる。
1982年(昭和57年)、京都市が古都保存協力税の名の下に市内の社寺の拝観料金に課税しようとし、これに社寺が反発し、古都税騒動が勃発する。金閣寺も拝観料を徴収しない方針とし、その代わりに御札を授与して志納金を納めるという立て付けにしたという。
このあたりに、京都の政治的特殊性が見え隠れするのだが、まあ、ありがたい御札であることにはかわりはない。
1982年(昭和57年)、京都市が古都保存協力税の名の下に市内の社寺の拝観料金に課税しようとし、これに社寺が反発し、古都税騒動が勃発する。金閣寺も拝観料を徴収しない方針とし、その代わりに御札を授与して志納金を納めるという立て付けにしたという。
このあたりに、京都の政治的特殊性が見え隠れするのだが、まあ、ありがたい御札であることにはかわりはない。
唐門には、仏教徒として守るべき「五戒」が「五用心」として掲示されている。
ユダヤ教・キリスト教の十戒の半分で済む点でも、仏教はリーズナブルな宗教である(笑)。
ユダヤ教・キリスト教の十戒の半分で済む点でも、仏教はリーズナブルな宗教である(笑)。
交通アクセス
【鉄道+バス】
- 地下鉄烏丸線「北大路駅」下車、京都市バスで「金閣寺道」下車、徒歩3分
- JR嵯峨野線「円町駅」下車、京都市バスで「金閣寺道」下車、徒歩3分
参考サイト
- 金閣寺について:臨済宗相国寺派
- 西暦1397年(応永4年) - 金閣建立:ぱふぅ家のホームページ
- やっぱり変、金閣の軒樋:生涯位置設計し士・佐々木繁の日々
- 金閣「鹿苑寺」:さきたまの自然日記
- 雪の金閣寺:My Style, My Life
- 京都 鹿苑寺(金閣寺):信州佐久・田舎人の趣味遊々
- 金閣寺の紅葉:四季彩綴り
近隣の情報
- 金閣寺から黄金の雨樋が張り出す:ぱふぅ家のホームページ
- 二条城で江戸幕府が始まり、そして終わった:ぱふぅ家のホームページ
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(この項おわり)