

266年ぶりに甦った天守閣は、地上55メートル、5層8階で、屋根の鯱、勾欄下の伏虎など、いたるところに施された黄金の装飾が燦然と輝いている。さらに、1995年(平成7年)から2年かけて大改修が行われた。

上町台地の北端に位置する石山本願寺の跡地に建設され、北側には淀川とその支流が流れており、天然の堀の機能を果たすとともに、城内の堀へと水を引き込むのに利用された。
豊臣秀吉は大坂の市街から天守がよく見えるよう天守の位置、街路などを工夫したとも伝えられている。

江戸時代の再建では、城郭の大きさは豊臣時代の4分の1に縮小されたものの、天守はその高さも総床面積も豊臣時代を超える規模のものとなった。
豊臣秀吉は大坂の市街から天守がよく見えるよう天守の位置、街路などを工夫したとも伝えられている。

江戸時代の再建では、城郭の大きさは豊臣時代の4分の1に縮小されたものの、天守はその高さも総床面積も豊臣時代を超える規模のものとなった。

明治時代には陸軍用地に転用され、大阪砲兵工廠が置かれた。このため、太平洋戦争時は米軍の爆撃目標となった。

大手門は、国の重要文化財に指定されている。

多聞櫓は、国の重要文化財に指定されている。

大手門を入ると、40メートル×54メートルの広大な枡形空間が大手口を内部から防御する。東と北は多聞櫓、堀に面した西と南には塀を構える。
この枡形は、1620年(元和6年)、徳川幕府による大坂城再建工事の際、肥後熊本藩主・加藤忠広の分担で築かれたものである。1628年(寛永5年)の第3期工事の際、久留米藩主・有馬豊氏によって築き直された。

大手門を入ると、40メートル×54メートルの広大な枡形空間が大手口を内部から防御する。東と北は多聞櫓、堀に面した西と南には塀を構える。
この枡形は、1620年(元和6年)、徳川幕府による大坂城再建工事の際、肥後熊本藩主・加藤忠広の分担で築かれたものである。1628年(寛永5年)の第3期工事の際、久留米藩主・有馬豊氏によって築き直された。


大阪歴史博物館から大阪城を望む。
交通アクセス

近隣の情報
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(この項おわり)
天守閣は1665年(寛文5年)に再建されたが、落雷によって再び消失。現在の天守閣は、1931年(昭和6年)に市民などから寄付を集めて再建したもので、登録有形文化財に指定されている。