マイントピア別子で鉱山鉄道に乗る

2018年12月28日 撮影
本館 - マイントピア別子
本館
マイントピア別子(愛媛県新居浜市立川707-3)は、1973に閉山した別子銅山の施設跡などを利用したテーマパークである。1991年(平成3年)にオープンした。
本館は、後述する旧端出場水力発電所をモデルにしている。
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金鉱石 - マイントピア別子
金鉱石
この金鉱石は重さが2トンもある巨大なもので、6.1kgの金と、2.3kgの銀が含まれているという。価格は2642万円。
別子銅山では金・銀も採掘されていたということで、砂金とり体験のコーナーが用意されている。
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ミゼット消防車 - マイントピア別子
ミゼット消防車
四阪島製練所のミゼット消防車――島内の工場などで火災が発生した際は、小回りが効くミゼットが消防車として用いられた。島内は私有地なので、道交法の適用がなく、運転免許がなくても乗れたという。
太鼓台 - マイントピア別子
太鼓台
新居浜市の秋祭りに繰り出される子ども用の太鼓台。
大人用のものは、高さ5メートル、長さ10メートル、重さ2トンにもおよぶ巨大なもので、150人あまりが担ぐ。
しあわせ通洞 - マイントピア別子
しあわせ通洞
しあわせ通洞は、結婚7年目の銅婚式を記念するモニュメントである。
7年目ともなれば、財産や家庭が安定し始めるもので、それを「銅」にたとえたもので、これから共にカを合わせていく大切な方のために、この「しあわせ通洞」の中で祈りましょう。
旧端出場水力発電所 - マイントピア別子
旧端出場水力発電所
1912年(明治45年)、銅山川とその支流の七番川などの水を日浦に集め、これを日浦通洞、第三通洞坑内経由で石ケ山丈の貯水池まで導き、当時としては東洋一の落差596メートルを利用して発電する端出場 (はでば) 水力発電所が完成した。
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1970年(昭和45年)に休止するまで、最大4800kWの電力を別子銅山に送電し続け、銅山の機械化を促進した。登録有形文化財に指定されている。
住友別子鉱山鉄道 - マイントピア別子
住友別子鉱山鉄道
本館2階の端出場駅から打除 (うちよけ) 駅まで、観光用の住友別子鉱山鉄道「別子1号」が往復する。
住友別子鉱山鉄道は、1893年(明治26年)に開業した。伊予鉄道に続く愛媛県で2番目の鉄道であり、山岳鉱山鉄道としては日本初の路線である。
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打除鉄橋 - マイントピア別子
打除鉄橋
別子銅山から採掘された銅鉱石を製錬所や港湾へと輸送する役割を担い、1973年(昭和48年)の閉山後も存続していたが、1977年(昭和52年)に廃止された。観光用に残されたのは、このうち410メートルほどの部分である。

この打除鉄橋は、1893年(明治26年)、鉱山鉄道の開業にあわせて架けられた。ドイツから輸入したもので、鋼材の連結点がピン(鉄の丸棒)を用いて組み立てられているピントラス橋である。現在、ピントラス橋は国内では6カ所しか残っていない。
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トロッコ客車 - マイントピア別子
トロッコ客車
客車はトロッコ客車である。
別子1号 - 大山積神社
別子1号 2007年8月1日撮影
実際に運行していた別子1号は、別子銅山記念館に隣接する大山積 (おおやまづみ) 神社に静態展示されている。

トロッコ客車を牽引しているのは、これをやや小さく復元した電気駆動式の機関車である。
水樹奈々 - マイントピア別子
水樹奈々
声優で歌手の水樹奈々 (みずき なな) が新居浜市の出身で、ふるさと観光大使を務めている。
縦型30馬力スラッシャー - マイントピア別子
縦型30馬力スラッシャー
シールド採鉱法で、堀り採った鉱石をかき寄せるスクレーパーの電動機である。シールド枠に取り付けるため、モーターとワイヤードラムが縦に配列された独特の形をしている。
人車 - マイントピア別子
人車
坑内作業者が、端出場や東平らから出入りする際に乗った車両である。トロリー電気機関車などに牽引され、端出場からは約11km、東平からは約2km移動した。速度は15km/h。
カゴ電車 - マイントピア別子
カゴ電車
1938年(昭和13年)から1973年の閉山まで、東平坑口と日浦坑口の間、約4kmの構内を往来する人たちが乗った車両である。別子山村の人々が新居浜で来る時にも利用した。
銅太くん - マイントピア別子
銅太くん
銅太くんは、マイントピア別子のキャラクターだ。
観光坑道 - マイントピア別子
観光坑道
打除駅を下りると、火薬庫を改造して作った長さ333メートルの観光坑道がある。
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歓喜坑 - マイントピア別子
歓喜坑
歓喜坑は、1691年(元禄4年)に開かれた別子銅山の最初の坑道である。将来有望な銅山の坑口に立って、前途を祝福し、抱き合って歓喜したところから、こう名付けられたという。
観光坑道 - マイントピア別子
観光坑道
江戸ゾーンと近代ぞーに分かれており、別子銅山の歴史がミニチュア展示されている。
観光坑道 - マイントピア別子
観光坑道
江戸時代の採鉱はノミを用いた手作業で、湧き水を汲み上げるだけでも数十人が必要だった。
山神社 - マイントピア別子
山神社
竪穴 - マイントピア別子
竪穴
この竪穴は、火薬が爆発した際に、その風圧を逃すものだという。
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遊学ゾーン - マイントピア別子
遊学ゾーン
遊学ゾーンは、遊びながら、別子銅山を学べるというコーナー。
エレベーター - マイントピア別子
エレベーター
別子銅山は地下1000メートルまで掘り進められたというが、そこまで行けるというエレベーター‥‥実際には‥‥。

マイントピア別子は、子ども向けの印象が強いが、より詳しく住友銅山の歴史を学びたい方は、道なりに新居浜駅へ3kmほど下ったところにある別子銅山記念館へどうぞ。
泉寿邸 - マイントピア別子
泉寿邸
泉寿亭は、1937年(昭和12年)、宿泊施設として建築された。住友家の屋号である泉屋を寿ぐという意味である。特別室は、賓客のみが宿泊を許された部屋であり、上品な落ち着きを残す空間を今も与え続けている。
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1991年(平成3年)、宿泊施設としての役目を終えた泉寿亭の賓客用玄関と特別室の1室が、マイントピア別子に移築された。
新居浜駅
新居浜駅
最寄り駅は、予讃線(JR四国)の新居浜駅(愛媛県新居浜市坂井町2-3-45)である。1921年(大正10年)に開業した。
すでに住友別子鉱山鉄道は開通しており、銅鉱石の輸送のほか、鉱山労働者の輸送も行っていた。
新居浜駅
新居浜駅
2017年(平成29年)の1日平均乗車人員は2,071人で、新居浜市の代表駅として、乗車人員が年々増加している。駅前にはマンションも建設されている。

交通アクセス

【鉄道】
  • JR新居浜駅よりバスで20分
【自動車】
  • 新居浜ICより車で約10分
別子銅山 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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