
主屋
北方文化博物館(新潟県新潟市江南区沢海2丁目15-25)は、江戸時代から戦前にかけて豪農だった伊藤家が、戦後の農地改革を受け、その大邸宅を私立博物館としたもの。1946年(昭和21年)、財団法人北方文化博物館が創設され、一般公開が始まった。
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中門(西門)

庭園

庭園
座敷を囲む廊下は、柱が1本もの無い釣欄干工法で作られており、その眺望を邪魔しないようになっている。
庭園内には5つの茶室が点在し、鎌倉・室町時代の趣のある回遊式庭園となっている。
庭園内には5つの茶室が点在し、鎌倉・室町時代の趣のある回遊式庭園となっている。

三楽亭

三楽亭
三楽とは、孟子による「君子の三つの楽しみ」という考え方に由来する。六代目・伊藤文吉が21歳で自ら設計し、1891年(明治24年)に完成。正三角形11坪の数寄屋風書院で、水屋もあり、茶室としても使用される。

三楽亭
1つだけある円窓では、六代当主が瞑想を行ったとされている。

電話ボックス
園内にある電話ボックスも、三楽亭を真似て作られている。

桂小五郎の書
何気なく架かっている書「山花水鳥皆知己」は、維新の三傑の一人、桂小五郎(木戸考允)の手になるものだという。

大時計
主屋にある大きな振り子時計は、明治末期のもの。現在も正しい時刻を刻み続けている。

一本の丸桁
主屋には、会津から切り出して運ばれた全長30メートルにもなる天然絞りの杉を使っている。

GHQの民間情報教育部門(CIE)の長として着任したラルフ・E・ライト中尉が伊藤家を調査に訪れた際、七代目・伊藤文吉が母校ペンシルバニア大学の先輩とわかり交流を深めた。ライト中尉は伊藤邸を価値ある文化遺産と位置付け、北方文化博物館の創立を支援した。

大日如来立像

集古館

駕籠
五代目・伊藤文吉のところへキイが嫁入りする際に使った駕籠。花嫁行列や50人にも及び、披露宴は8日間にわたって続いたという。

1756年(宝暦6年)、初代・文吉は、13,000m2の畑を与えられて百姓として分家した。商売や倉庫業にも乗り出し、二代目は苗字帯刀を許され、伊藤文吉を名乗った。
八代目・伊藤文吉は2016年(平成28年)10月25日、89歳で死去した。現在、九代目は発表されていない。
交通アクセス
【鉄道】
- JR新潟駅から車で25分。無料シャトルバス運行。
- JR信越本線「新津駅」から車で10分
近隣の情報
- 北方文化博物館は豪農伊藤家の大邸宅:ぱふぅ家のホームページ
- 新潟せんべい王国は、ばかうけの栗山米菓が運営:ぱふぅ家のホームページ
- 新潟ふるさと村で旬の食材を仕入れ、歴史を学ぶ:ぱふぅ家のホームページ
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(この項おわり)