『さよなら!僕らのソニー』――アップルとは正反対

立石泰則=著
表紙 さよなら!僕らのソニー
著者 立石泰則
出版社 文藝春秋
サイズ 新書
発売日 2011年11月18日頃
価格 913円(税込)
rakuten
ISBN 9784166608324
日本人とソニーファンにとって認めがたいことであろうが、グローバル企業になるということは、そういうことなのである。(291ページ)

概要

著者は、ノンフィクション作家でジャーナリストの立石泰則 (たていし やすのり) さん。高校3年生の時、音がきれいと評判のFMラジオを買うためにソニーショップへ出かけたのが、ソニーとの出会いだったという。
立石さんのように、私より一回り以上上の世代にとってのソニー・ブランドは絶対的だ。なぜ、そこまで信奉されているのか。
そのひとつの背景として、立石さんは、ソニーがニューヨークのショールームに日章旗を掲げたことを挙げている。
「ショールームの支配人は当初、日章旗を掲げたら何らかの敵意ある反応が返ってくるのではないかとたいへん危惧したという。そのような危惧に対し、盛田氏はこう言って反論した。『ここは、日本の会社だよ。オレも君たちも日本の代表なんだ。われわれは、日の丸に恥じないことをやるために、国旗を出す(掲揚する)んだよ』」(18ページ)という。
立石さんは、「ソニーが創業者のものではなく一企業の利益のためにでもなく、まさに日本という国、あるいは日本国民のために存在していると盛田氏は言っているのだ」(28ページ)と強調する。「日本のソニー、日本国民のためのソニー、つまり『僕らのソニー』なのである」。
そのソニーが、なぜiPadを創れなかったのか。盛田・井深の創業者から大賀・出井・ストリンガーと続いた経営者の誰が、戦略を誤ったのか。トリニトロン、ウォークマンといった懐かしの成功物語から一転して凋落してしまったソニーの奇跡を、歴代経営者の肉声を交えて辿る企業ルポルタージュが本書だ。

レビュー

まず立石さんは、ブランドとは「クォリティ(品質)とメッセージで担保されるもの」(40ページ)と定義する。
ウォークマンと他社のヘッドホンステレオとの間で、技術的には大した違いはなかった。実際、私は高価なウォークマンではなく、より機能が豊富なAIWAのカセットボーイを愛用していた。だが、ウォークマンがブランドとして確固とした地位を築いた理由について、立石さんは、「盛田昭夫氏が考えたウォークマンの商品企画(プロダクト・プランニング)が明確で、かつ発売後もそのコンセプトが変わらず、ブレることがなかったからではないか」(54ページ)と説く。
iPodも同じことが言える。初代iPodの機能・性能は、お世辞にも高いとは言えなかった。にもかかわらず世界中に受け入れられるブランドとなったのは、「いつでも、どこでも、音楽を聴ける」という単純なメッセージが受け入れられたからではないか。当時のウォークマンは機能が豊富になりすぎたことや、音楽メディアがカセットなのかMDなのかCDなのかがわかりにくくなったため、iPodに敗北したように感じる。

そして2005年にCEOに就任したストリンガー氏は「『もの作り』そのものに関心がない」(129ページ)と指摘する。立石さんは皿に、「工場を持たないメーカー、 標準化された廉価商品を外部の製造会社に委託生産させる販売会社、例えばパソコンの『デル』や液晶テレビの『ビジオ』など水平分業の申し子たちが、ストリンガー氏が目指すソニーのエレキ事業の理想像なのかも知れない」と語る。
ここには書かれていないが、アップルも同じである。中国の工場にiPhoneなどを生産させている。アップルはウォークマンというブランドが弱くなったとき、それを真似て成功を収めた。しかし、アップルが全盛期にある時、そのビジネスモデルを真似しても成功しないというのは、経営者でない私にも分かる。
案の定、ソニーは長い低迷期から抜け出せないままだ。

最後に立石さんは、「ソニーは日本企業であり、エレクトロニクス・メーカーであり続けると信じて疑わない日本人とソニーファンにとって認めがたいことであろうが、グローバル企業になるということは、そういうことなのである」(191ページ)と諦めに似た口調で語る。
そして、「いまの私たちに出未ることは、未来への『希望』を与えてくれた『SONY』に感謝の言葉を捧げるとともに、こう言うだけである。『さよなら! 僕らのソニー』」と締めくくる。
(2012年6月10日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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