『科学報道の真相』――報道の品質を考える

瀬川至朗=著
表紙 科学報道の真相
著者 瀬川 至朗
出版社 筑摩書房
サイズ 新書
発売日 2017年01月05日
価格 950円(税込)
rakuten
ISBN 9784480069276
ジャーナリズムにおける客観性とは検証の規律を意味している。(243ページ)

概要

著者は、毎日新聞で科学環境部長、編集局次長などを務めた瀬川至朗さん。
なぜ新聞・テレビの報道で失敗がおこるのか。そして市民の不信感を起きおこすのか――この課題に対し、STAP細胞、福島第一原発事故、地球温暖化という3つの題材を取り上げ、各々の報道された内容を具体的に分析し、ジャーナリズムの原則を導いていく。

レビュー

第一の STAP細胞については、「メディアはなぜ見抜けなかったのか」という視点で考察する。
マスメディアは、理化学研究所という「権威」による記者発表を信用し、科学誌掲載という水準を超えて大々的に報道していた。その後も、研究不正のことは逐一報道したものの、マスメディア自身の「誤報」についての自己検証はおこなっていない。

第二の福島第一原発事故では、「大本営発表報道は克服できるのか」という視点で考察する。
事故発生当初の原子炉内の炉心浴融に関係して、マスメディアの初期報道は、政府・東京電力の記者会見の内容にほぼ沿った「発表報道」になっていた。記者会見をする原子力安全・保安院と東京電力は炉心「損傷」という言葉を使って事故の楼小化を図り、新聞報道も「本格的な炉心溶融はおきていない」というメッセージを読者に伝えた。新聞別では、朝日・毎日の二紙と読売・日経の二紙のあいだで、興なる言説を読み取ることができた。「全電源喪失」事故については、東電の「想定外」という認識を、マスメディアもそのまま踏襲した報道がつづいている。

第三の地球温暖化では、「公平・中立報道」が意味するところを考察する。
科学的な不確実性が指摘され、温暖化懐疑論も主張されるなかで、地球温暖化報道における公平さや中立性は絶対的なものではなく、「科学者集団からみた公平さ」「市民からみた中立性」というように、特定の立場や視点に依存した相対的なものであることをしめした。また、日本のマスメディアにおいて懐疑論の報道が少ないのは、IPCCという公的組織にたいする権威としての信頼、が背景にあることが推察された。

これらに共通してみえてくるのは、日本のマスメディア(とりわけ中央の新聞・テレビ・通信社)が政府や電力会社、科学コミュニティ、科学者グループといった権威に重きをおき、権威からの情報を発表報道している姿である。もちろん、個々には明確な問題意識をもつ記者が優れた報道に取り組んでいるケースはある。ここで指摘しているのは、マスメディア報道のメインストリームとして、権威に依拠する発表報道が多いという点である。
また、自身の経験から、記者や編集者が実際の仕事において強く意識するのは、読者としての一般市民ではなく、競争相手としての同業他社であり、他社の記者・編集者であるという。

瀬川さんは、コヴアッチらの著作『ジャーナリズムの原則』を取り上げ、ジャーナリズムの原則は、「3.ジャーナリズムの核心は検証の規律である。【検証】」「4.ジャーナリズムの実践者は取材対象者からの独立を維持しなければいけない。【独立性】」の2つであると指摘する。

製造業に携わっている身として、製品の品質水準として、常に validationverification が求められる。前者は、規格・基準に沿っているか顧客要求に合っているかを検証すること。後者は正しく動作するかの検証である。
ジャーナリズムもコンテンツという製品を世に送り出しているのだから、当然、validationとverificationが求められるべきだろう。verificationは校正といったところか。瀬川さんが指摘するのは、validationの方である。
(2017年5月20日 読了)
(この項おわり)
header