鎌倉駅〜江の島〜大船駅

2005年5月3日 撮影

鎌倉駅

鎌倉駅
江ノ電に乗ろうという話になり、まず、湘南新宿ラインでJR鎌倉駅へ。
江ノ電 関連
鎌倉駅は、1889年(明治22年)6月16日、横須賀線の駅として開業した。その後、1910年(明治43年)10月30日に江の島電鉄線(江ノ電)が開業した。2000年(平成12年)には、関東の駅百選に選出されている。
JRと江ノ電の間には連絡通路があるのだが、この日は大型連休で混雑しており、一度、西口から外に出て、待ち行列に並ぶことになった。行列は駅前のロータリーを半周していたが、20分ほどで江ノ電に乗ることができた。

湘南海岸

湘南海岸
稲村ヶ崎駅から鎌倉高校前駅までは湘南道路(国道134号線)と並行して走っており、海が見える。

湘南という地域を指す厳密な定義はないそうだ。明治時代、大磯が中国湖南省洞庭湖の南岸「瀟湘湖南」に似ており、またこの地域は相模国の南部にあたるため佳字を当てる意味もあって、「湘南」と名づけたとされている。
1950年代、太陽族石原裕次郎加山雄三湘南のシンボルとなり、ヨットやクルーザーなどのマリーナがある地域(葉山から江の島)が湘南と考えられた。
1970年代後半にサザンオールスターズ(ヴォーカルの桑田佳祐は、茅ヶ崎市出身、私立鎌倉学園高等学校から青山学院大学に進学)がデビューすると、歌詞によく登場する鎌倉から茅ヶ崎の間が湘南のイメージとして定着した。

2002年(平成14年)に、平塚市、藤沢市、寒川町、大磯町、二宮町とが合併し「湘南市」として発足する構想があったが、議会で否決されたため、現時点では合併は行われない。
また、自動車のナンバープレートに湘南ナンバーがあるが、この管轄区域は平塚市以西で、いわゆる「西湘」(せいしょう)と呼ばれる地域である。前述の西湘地域の管轄は横浜ナンバーである。

江の島駅

江の島駅
江の島駅に到着した。
鎌倉側にある腰越駅から江の島駅の間、江ノ電は路面を走り、撮影スポットとなっている。

2014年(平成26年)11月、江ノ電が「選奨土木遺産」に選定された。
推奨土木遺産は、土木学会が歴史的土木構造物の保存に資することを目的として、2000年(平成12年)に設立した認定制度だ。トンネルや橋、鉄道など、毎年20件程度ずつ選定されている。

片瀬江ノ島駅

片瀬江ノ島駅
小田急線の片瀬江ノ島駅は、小田急江ノ島線の終点の駅である。
駅舎は、竜宮城を模したユニークなデザインになっている。この駅舎は、1929年(昭和4年)4月の開業当時、東海土地電気株式会社による大船~茅ヶ崎間の路線が建設される予定があったため、仮駅舎として建てられたためだが、その後改築が行われないまま現在に至っている。1999年(平成11年)には関東の駅百選に選出された。
新宿からは、急行で1時間15分ほど。湘南新宿ラインがあれば、新宿→大船→藤沢→片瀬江の島のルートの方が10分ほど早い。しかし、料金は小田急線の方が圧倒的に安い。

江の島

江ノ島
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湘南道路から江の島を臨む。
ここから、歩行者・自転車専用の江の島弁天橋、自動車専用の神奈川県道305号江の島線(江の島大橋)を通って江の島に渡ることができる。
かつての江の島は、引き潮の時のみと洲鼻(すばな)という砂嘴(さし)が現れて対岸の湘南海岸と地続きとなって歩いて渡ることができた。関東大震災で島全体が隆起して、以降は常に陸地と地続きとなった。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時にはヨット会場になった。

江の島の奥には岩屋と称する洞窟があり、常に風が吹いていることから、富士の風穴と繋がっているという伝説があった。
江の島
江の島には、江島神社江の島大師兒玉神社という3つの寺社がある。
江の島の入り口からエスカー乗り場までの参道には、たくさんの土産物屋や休憩所があり、にぎわっていた。
土産物屋の主力商品は、われわれが子どもの頃とほとんど変わっていないのだが、意外と若者が多いので驚いた。これも、昭和レトロブームなのだろうか。
郵便ポスト-江の島郵便局
江の島郵便局の前には、明治時代の形そのままのポストがあった。投函可能。
ところで、「江の島」と「江ノ島」はどちらが正しいのだろうか。
江の島が属する藤沢市は、1969年(昭和44年)4月1日に、「江の島」と表記することで統一している。ところが、江ノ電、小田急江ノ島線、片瀬江ノ島駅、江ノ島大橋、江ノ島水族館と、主立ったランドマークが「江ノ島」のままなので、ネットで検索すると「江ノ島」の方がヒットする。
また、史跡天然記念物・名勝としての江の島は、文化庁に登録した際に「江ノ島」を使っていて、台帳がそのまま生きているため、「江ノ島」が正式名となっている。
エスカー - 江の島
かつて、江の島の頂上に行くには数百段の階段を上り下りしなければならなかった。そこで、1959年(昭和34年)に国内初の屋外エスカレーターとして、高低差46メートルを4連で結ぶ全長106メートルの「江ノ島エスカー」が登場した。江ノ電が運営している。
頂上まで石段を上っていくと20分かかるところ、江ノ島エスカーだとわずか4分で行くことができる。
2001年(平成13年)に1~2連、2003年(平成15年)に3~4連がリニューアルされた。
トビ-江の島
頂上に着くと、たくさんのトビが大空を舞っていた。
トビ(鳶:学名 Milvus migrans)は、タカ目タカ科に分類される鳥で、ほとんどはばたかずに尾羽でたくみに舵をとり、上昇気流に乗って上空へ舞い上がる。体長は60~65cmほどで、カラスよりひとまわり大きい。翼開長は150~160cmほどになる。
関西では「トンビ」と呼ぶが、パパぱふぅもそう呼んでいる。関西人なのだろうか。
野良猫-江の島
1980年代頃から江の島では捨て猫が急増し、至る所で野良猫を見かけるようになった。観光客や釣り人がエサを与えるなどしたため、ほとんどの猫は人怖じしないし、まるまると太っている。
これらの野良猫を観光資源ととらえ、新たな江の島名物とする動きがある。餌場をつくり猫に餌を与えたりする一方で、野良猫に避妊手術を行うための募金活動を行ったり、全島に犬・猫を捨てないよう訴える看板を掲示するなど、これ以上野良猫が増えないような対策も並行的に進められている。
三つ鱗形紋-江の島
建久元年(1190年)、北条時政が江の島に参籠した際、大蛇が残した3枚の鱗をもとに家紋を定めた。これが「三つ鱗形紋」で、北条氏と江の島神社の家紋となっている。参道にあちらこちらに見ることができる。
江の島ヨットハーバー
江の島ヨットハーバーは、1964年(昭和39年)の東京オリンピックのヨット競技場として整備され、それ以降、日本のヨット活動の普及に貢献している。

近隣の情報

大船観音

大船観音
帰路は、湘南江の島駅から湘南モノレールに乗って大船へ向かった。

大船駅の西口には大船観音寺という曹洞宗の寺があるが、ここに全高約25mの巨大観音像(大船観音)が建っている。大船観音は、大船のシンボルとして、夜間にはライトアップされるなど観光名所となっている。
日本人ばかりではなく東南アジア(特に華僑・小乗仏教信者)からの参拝客も多く、奉納された灯篭には多国籍な名前が並ぶ。近年ではこうしたアジアからの参拝客の増加を受け、台湾やスリランカなどから僧を招き法要を行い、各国の民族舞踊を奉納する「ゆめ観音 in 大船」という祭りが開催されるようになった。

大船観音は、1929年(昭和4年)、地元有志の発起により護国観音として築造が開始され、1934年(昭和9年)には輪郭ができあがっていたのだが、戦局の悪化により中断。戦後、財団法人大船観音協会が設立され、1960年(昭和35年)4月にようやく完成した。
大船観音協会には、曹洞宗管長の高階瓏仙や、東京急行電鉄の初代社長五島慶太の名前をはじめ、各界の著名人の名が見える。大船観音協会は、1976年(昭和51年)11月30日に解散し、宗教法人大船観音寺と改称され現在に至っている。
(この項おわり)
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