境港駅・水木しげるロード

2012年12月16日 撮影
境港駅
境港駅(鳥取県境港市大正町1-28)は境線(JR西日本)の終着駅で、境線唯一の有人駅である。鳥取県最西端の駅でもある。駅舎は灯台の形を模している。
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境港駅・水木しげるロード
駅を降りるとすぐ、漫画家・水木しげるの仕事場の様子をあらわした銅像が目に入る。

境港駅から東へ伸びる道路は水木しげるロードと呼ばれ、多数の妖怪のオブジェが歩道上に設置してある。
境港駅・水木しげるロードの大きな写真大きな写真
(1600×1200 ピクセル, 1682 Kbyte)
水木しげるロード
境港市は日本有数の漁業の街で、多くの人が集まることで商店街も発展していった。しかし、1970 年代以降の大規模小売店の出現などにより商店街は衰退し、徐々にシャッター通りと化していった。
水木しげるロード 関連
水木しげるロード
1989 年(昭和 64 年)、境港市出身の漫画家・水木しげるの代表作である「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」に登場する妖怪をモチーフにした銅像を設置した。水木しげるロードは、銅像 23 体の設置が完了した 1993 年(平成 5 年)7 月に正式オープンした。
このタイミングで JR西日本は境線に鬼太郎列車の運行を開始、全国から観光客が集まるようになる。
水木しげるロードがオープンした都市の観光客は 2 万 1000 人であったが、3 年後には 28 万 1000 人に、2007 年(平成 19 年)にはアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の第5 期が始まったこともあり 147 万人に、NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が放映された 2010 年(平成 22 年)には 370 万人に達した。

2013 年(平成 25 年)7 月 21 日、開設20 周年記念式典が JR 境港駅前広場特設ステージで行われた。
2013 年(平成 25 年)11 月 5 日、年間観光客数が 250 万人を突破。250 万人越えは 4 年連続だ。
2014 年(平成 26 年)3 月 8 日、観光客数 2500 万人突破の記念セレモニーが行われた。この日は水木しげるの 92 歳の誕生日だった。
2018 年(平成 30 年)7 月、大規模改修を終えて新装オープンした。新装オープンから 2 カ月余りでの 100 万人を突破し、9 月 24 日には 200 万人を超えた。昨年より 3 ヵ月速いペースだ。

交通アクセス

【鉄道】
  • JR 境港駅下車すぐ
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:境港駅

近隣の情報

水木しげる死去

2015 年(平成 27 年)11 月 30 日、水木しげるが他界した。

水木しげるは、1922 年(大正 11 年)3 月 8 日、大阪府大阪市住吉区で生まれ、すぐに鳥取県境港市入船町に移る。幼少時、まかない婦として家に出入りしていた景山ふさ(のんのんばあ)に可愛がられ、彼女が語り聞かせた妖怪話の強い影響を受けた。
当時の水木は自分の名前を「げげる」と言っていたため、「ゲゲ」があだ名となった。そのあだ名が『ゲゲゲの鬼太郎』のタイトルの原点となったという。

太平洋戦争では、ラバウルにおいて爆撃にあい、左腕を失い、想像を絶する飢餓にも耐えてきた。1946 年(昭和 21 年)に復員したのちは、紙芝居作者を経験し、貸本漫画の執筆を通して一時代を築く。
1963 年(昭和 38 年)、代表作『悪魔くん』を貸本の東考社から出版したが、貸本漫画界が下火になったことから、1964 年(昭和 39 年)に『ガロ』で商業誌デビュー。『別冊少年マガジン』で発表した『テレビくん』は講談社児童まんが賞に輝き、続いて『週刊少年マガジン』では紙芝居・貸本時代から大事にしてきたキャラクター・鬼太郎を主人公とする『墓場の鬼太郎』(のちに『ゲゲゲの鬼太郎』に改題、1965~67 年)を発表、テレビアニメ化もされる大ヒット作となった。

戦記物も多く手掛けている。
水木は生前、「戦記物をかくと、わけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。たぶん戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う」と語っていた。
また、「人生はあんた、面白くなりかけたころに寿命がくるんです。秘密がわかりかけたころに。神様がわからないようにしてるんだ」とも。

亡くなる半年ほど前の 2015 年(平成 27 年)5 月まで、ビッグコミックで『わたしの日々』を連載していた。
水木しげるに「ご冥福を」という言葉は似合わないので、「行ってらっしゃい」と送り出すことにしたい。
(この項おわり)
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