本能寺では織田信長が暗殺

2015年9月15日 撮影
本能寺
本能寺(京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522)は、1582 年、織田信長明智光秀に討たれた本能寺の変の舞台となった。
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正門左手の石柱は、本能寺の「能」の字に「䏻」が当てられている。
度重なる焼失を受けて、「火(ヒ)が去る」という意味で字形を変えたと伝えられている。
信長公廟 - 本能寺
境内には信長公廟があり、その横には本能寺の変戦死陣没之諸霊の墓がある。毎年 6 月 2 日、本能寺の変の戦歿者供養の法要「信長公忌」が営まれる。
その他、九代将軍徳川家重夫人供養塔、管中納言局庸子の石塔、島津義久夫人の石塔がある。
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本能寺
1415 年(応永 22 年)、日隆によって創建された法華宗本門流の大本山で、十界大曼荼羅を本尊としている。
創建当初は京都油小路高辻と五条坊門の間にあり、本応寺と名付けられた。
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本能寺
本能寺の変で焼失した後、1591 年、豊臣秀吉が現在の地に移設した。
戦国大名との関係も深く、江戸時代の 1615 年(元和元年)には、幕府から朱印地 40石を与えられた。1633 年(寛永 10 年)には、末寺 92 を数える大寺院になっていた。
幕末になると、1864 年、禁門の変(蛤御門の変)により焼失した。
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本能寺
本堂の右手に塔頭 (たっちゅう) 寺院が並ぶ。
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本能寺
塔頭寺院は、恵昇院 (えしょういん) 蓮承院 (れんじょういん) 定性院 (じょうしょういん) 高俊院 (こうしゅんいん) 本行院 (ほんぎょういん) 源妙院 (げんみょういん) 龍雲院 (りゅううんいん) の 7院を数える。

現在の本堂は、1928 年(昭和 3 年)に再建されたものである。
室町時代の粋を集めた木造建築で、7間7面単層入母屋造本瓦葺、建坪は 187 坪の総ケヤキ材からなる。
本能寺 関連

交通アクセス

【鉄道】
  • 京都市営地下鉄東西線「京都市役所前駅」下車、徒歩すぐ
【バス】
  • 京都市営バス・京都バス・京阪バス「河原町三条」下車、徒歩すぐ
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目的地:本能寺

参考サイト

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(この項おわり)
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