穴八幡宮で金運成就「一陽来復御守」

2016年1月4日 撮影
穴八幡宮
穴八幡宮 (あなはちまんぐう) (東京都新宿区西早稲田2-1-11)は、地下鉄早稲田駅を下りてすぐの神社で、毎年冬になると、金銭融通の御利益がある「一陽来復 (いちょうらいふく) 」の御守りを求める行列ができる。
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穴八幡宮
御祭神は、應神天皇 (おうじんてんのう) 仲哀天皇 (ちゅうあいてんのう) 神功皇后 (じんぐうこうごう) 
一陽来復とは、易で、陰暦10月に陰がきわまって11月の冬至に陽が初めて生じることを意味する言葉である。陰暦11月または冬至を指す。転じて、「冬が去り春が来ること。新年が来ること」「悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かうこと」という意味もある。
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穴八幡宮
一陽来復御守は、穴八幡宮だけに伝来する特別なお札で、その起源は江戸時代元禄年間に遡る。このお札を恵方に向けて高い場所にお祀りすると、金運が良くなるといわれている。御守と一緒に、お祭りするための方角や日時が示された説明書をいただくことができる。
毎年、冬至から節分までの2ヶ月限定の領布 (りょうふ) であり、冬至の朝には大行列ができる。

本殿に向かって左側にあるのが、御神木らしきクスノキ。根のはり方が凄い。
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穴八幡宮
1062年(康平5年)、源義家が氏神八幡宮を勧請したことにはじまり、1636年(寛永13年)には、幕府の御持弓組頭 松平直次がこの地に的場を築き、弓矢の守護神として八幡宮をお祀りした。

歴代将軍がたびたび参拝し、8代将軍徳川吉宗は、1728年(享保13年)に世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納した。
戦後の1979年(昭和54年)から、毎年体育の日に都立戸山公園を会場として行われている高田馬場流鏑馬は、新宿区の指定無形民俗文化財となっている。
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穴八幡宮
1648年(正保4年)、威盛院権大僧都良昌上人 (りょうしょうしょうにん) が、穴八幡宮を拡充し、別当寺として放生寺 (ほうしょうじ) を開創した。
このとき、南側の山裾を切り開いたところ横穴が出現し、穴八幡宮と呼ばれるようになった。
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穴八幡宮
1868年(明治元年)の神仏分離令により、放生寺と穴八幡宮の2つに分かれ、いまは両者で一陽来復御守を頒布している。
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穴八幡宮
神紋は、十六弁菊花心に三つ巴というもの。
三つ巴は、水流や稲光を表しているなど諸説があるが、魔除けや防火の意味があるとして、神社建築によく用いられている。

十六弁菊花紋は皇室専用だが、大丈夫か!?
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穴八幡宮
境内には屋台が並ぶ。

おなじみのベビーカステラもあった。
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交通アクセス

【鉄道】
  • 東京メトロ東西線「早稲田駅」から徒歩3分。駅の案内に「穴八幡方面出口」とある。
【バス】
  • 都営バス「学02」「早77」「早81」の各系統で「馬場下町」停留所下車。
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出発地の最寄駅:

目的地:穴八幡宮

近隣の情報

参考サイト

(この項おわり)
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