

この鬼子母神堂は、徳川4代将軍・家綱の時代、1664年(寛文4年)に建立された。1960年(昭和35年)に東京都有形文化財の指定を受け、1976年(昭和51年)から79年の解体復元工事で江戸時代の姿に甦った。
ただ、あちらこちらに鳥よけの金網がかけられているのには趣がそがれる。
ただ、あちらこちらに鳥よけの金網がかけられているのには趣がそがれる。
鬼子母神はインドの夜叉女神で、千人の子どもを産んだ。しかし、近隣の子どもを獲って食べたことから、釈迦は鬼子母神の子どもを隠してしまった。自分の子どもを失う痛みを知った鬼子母神は改心し、出産・育児の神となった。
以来、鬼子母神は人肉の味に似ているというザクロを食べるようになった。ザクロは種子が多く、子宝の象徴でもある。
以来、鬼子母神は人肉の味に似ているというザクロを食べるようになった。ザクロは種子が多く、子宝の象徴でもある。
毎年10月16~18日に行われる御会式は、江戸時代からつづく鬼子母神で最大の行事だ。18日夜には、枝垂れ桜に見立てた万灯を掲げ、うちわ太鼓を叩きながら行列は、池袋駅前を出発し、明治通り、目白通り、鬼子母神堂を経て、日蓮聖人を祀る法名寺祖師堂へと向かう。
もともとは日蓮聖人の命日に営む法要だが、子どもが育ちにくかった江戸時代の親の願いが鬼子母神信仰に繋がったと言われている。

鬼子母神の最盛期は江戸享保年間から文化・文政期にかけて(1716~1830年)と言われている。当時の「江戸名所図会」には「料理屋や茶店が軒を連ね、参拝の人が絶えない」と記されている。
もともとは日蓮聖人の命日に営む法要だが、子どもが育ちにくかった江戸時代の親の願いが鬼子母神信仰に繋がったと言われている。

鬼子母神の最盛期は江戸享保年間から文化・文政期にかけて(1716~1830年)と言われている。当時の「江戸名所図会」には「料理屋や茶店が軒を連ね、参拝の人が絶えない」と記されている。
“ツノのない鬼”という意味で、鬼子母神の「鬼」の字には角がない。普通のフォントにはない漢字だ。
Unicodeの異体字セレクタを使って U+9B3C_E0102 が割り当てられている。普通の「鬼」は U+9B3C だ。
Unicodeの異体字セレクタを使って U+9B3C_E0102 が割り当てられている。普通の「鬼」は U+9B3C だ。
子授け銀杏

境内には東京都指定天然記念物の大イチョウがある。「公孫樹」「銀杏」――いずれもイチョウと読む。
このイチョウは、高さ30メートル、幹の周りは8メートルに及ぶ巨木で、都内のイチョウの木としては、麻布善福寺の逆さイチョウに次ぐ大きさである。樹齢は600年と言われている。
昔から「子授け銀杏」と言われており、これを抱くと子どもを授かるという。

ところで、今年、大厄を迎えるパパぱふぅが御神籤を引いたところ、見事に「凶」。いきなり物の怪に気をつけなければならないわ、待ち人は来たらず、来るとしても災いを持ってくるとか、失せものは出づ、あるとしても水中など暗いところにあるそうで、そのうえ水難にも遭遇するとのこと。
あまりにも具体的な凶っぷりに、ままぱふぅに腹を抱えて笑われてしまった。
このイチョウは、高さ30メートル、幹の周りは8メートルに及ぶ巨木で、都内のイチョウの木としては、麻布善福寺の逆さイチョウに次ぐ大きさである。樹齢は600年と言われている。
昔から「子授け銀杏」と言われており、これを抱くと子どもを授かるという。

ところで、今年、大厄を迎えるパパぱふぅが御神籤を引いたところ、見事に「凶」。いきなり物の怪に気をつけなければならないわ、待ち人は来たらず、来るとしても災いを持ってくるとか、失せものは出づ、あるとしても水中など暗いところにあるそうで、そのうえ水難にも遭遇するとのこと。
あまりにも具体的な凶っぷりに、ままぱふぅに腹を抱えて笑われてしまった。

武芳稲荷

威光山法名寺

この寺には立ち寄らなかったが、ここにもお稲荷さんがあるそうだ。
また、桜の名所とのことで、写真の山門の隣にも大きな桜の木が写っている。
また、桜の名所とのことで、写真の山門の隣にも大きな桜の木が写っている。
鬼子母神からJR目白駅へ
現在、目黒不動は金乗院(東京都豊島区高田2丁目12番39号)にあるが、もともとは、ここから東南東へ1.3kmほど離れた新長谷寺(東京都文京区関口2丁目5−19)にあった。新長谷寺は空襲で焼失し、目白不動尊を金乗院へ移し、現在はマンションが建っている。

この付近は武蔵野台地の東縁部にあたり、崖から湧き水が出ていたり、神田上水が滝になっている場所があり、江戸時代には風光明媚な庭園を備えた大名屋敷が造られた。なかでも、ホテル椿山荘は、黒田豊前守の下屋敷があった場所で、明治に入ると山縣有朋が邸宅と庭園を築いた。こうして明治期には、大臣や貴族が邸宅を築いた。目白御殿と呼ばれた旧田中角栄邸も、このエリアにある。

学習院は、1847年(弘化3年)の京都御所日御門前に開かれた京都学習院がはじまりで、1889年(明治22年)に四谷に移転した。1908年(明治41年)に、現在地に移転した。
その他、学習院昭和寮や近衛文麿の邸宅があり、高級住宅街という印象を与える目白ブランドを築いてゆく。

この付近は武蔵野台地の東縁部にあたり、崖から湧き水が出ていたり、神田上水が滝になっている場所があり、江戸時代には風光明媚な庭園を備えた大名屋敷が造られた。なかでも、ホテル椿山荘は、黒田豊前守の下屋敷があった場所で、明治に入ると山縣有朋が邸宅と庭園を築いた。こうして明治期には、大臣や貴族が邸宅を築いた。目白御殿と呼ばれた旧田中角栄邸も、このエリアにある。

学習院は、1847年(弘化3年)の京都御所日御門前に開かれた京都学習院がはじまりで、1889年(明治22年)に四谷に移転した。1908年(明治41年)に、現在地に移転した。
その他、学習院昭和寮や近衛文麿の邸宅があり、高級住宅街という印象を与える目白ブランドを築いてゆく。
交通アクセス
【鉄道】
- 都電荒川線(三ノ輪・早稲田間)「鬼子母神前」下車
- JR池袋駅東口より徒歩15分
- JR目白駅より徒歩15分
- JR池袋駅東口より都バス、西武バスで、目白方面行または新宿・渋谷方面行、「東京音大前」または「千登世橋」下車。
- JR目白駅より、都バス新宿駅西口行「鬼子母神前」下車。
参考書籍
参考サイト
- 鬼子母神
- グリフウィキ
- 外字が不要に――ISO/IEC 10646:2017:ぱふぅ家のホームページ
- PHPで異体字を表示する:ぱふぅ家のホームページ
- 『異体字の世界』――漢字標準化の経緯:ぱふぅ家のホームページ
- 『ユニコード戦記』――文字コードは常に議論の的:ぱふぅ家のホームページ
- 東京・目白〜目白ブランドの正体とは?〜:ブラタモリ,NHK
近隣の情報
- 鬼子母神(雑司ヶ谷鬼子母神)は安産・子育ての神様:ぱふぅ家のホームページ
- 都電荒川線でノンビリ移動:ぱふぅ家のホームページ
- トミカ博 2000 in TOKYO:ぱふぅ家のホームページ
- プラレール博 in TOKYO 2001:ぱふぅ家のホームページ
- ナンジャタウンで「熱唱!銭湯歌合戦」:ぱふぅ家のホームページ
- ナンジャタウンと「もののけ番外地」:ぱふぅ家のホームページ
- ナンジャタウンと「りらくの森」:ぱふぅ家のホームページ
- プラレール博 in TOKYO 2002:ぱふぅ家のホームページ
- 小松崎茂展 in サンシャイン60:ぱふぅ家のホームページ
- セサミストリート展 in サンシャイン60:ぱふぅ家のホームページ
- プラレール博では「日本全国プラレールの旅」のジオラマ展示:ぱふぅ家のホームページ
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- トミカ博でトミカドリームモータース展示:ぱふぅ家のホームページ
- トミカ・プラレール「わくわく冒険王国」:ぱふぅ家のホームページ
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(この項おわり)
場所は、JR池袋駅または目白駅から徒歩で15分程度の距離なのだが、車が入れないような路地ばかりなので、わかりにくい。