韓国鉄道博物館(大韓民国京畿道義王市鉄道博物館路142)は、1988年(昭和63年)1月に開館した博物館で、韓国鉄道公社が運営している。
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鉄道博物館がある義王市は、ソウル市の南に位置し、鉄道車両を生産している現代ロテム社や貨物基地、鉄道に関連する大学・研究院など、鉄道の街として知られている。鉄道博物館は、地下鉄1号線の義王駅近くあり、館内は屋外展示場と屋内展示館に分かれている。
写真左は、朴正煕大統領政権下で導入された大統領専用気動車で、1969年(昭和44年)に日本車両で製造された。最高速度は120km/h。防弾対策で車体の外板は9ミリと分厚く、防爆対策のためにボディーマウント構造となっている。
1両あたりの製造価格は、日本の気動車の6倍以上。
写真中央は、全斗煥大統領政権下で導入された警護員用車両で、日本車両の設計をベースに1985年(昭和60年)に大宇重工業で製造された。2001年(平成13年)まで運行していた。
写真右は、韓国高速鉄道 KTX の試験製造車である。
写真中央は、全斗煥大統領政権下で導入された警護員用車両で、日本車両の設計をベースに1985年(昭和60年)に大宇重工業で製造された。2001年(平成13年)まで運行していた。
写真右は、韓国高速鉄道 KTX の試験製造車である。
ミカ3型161号は主に貨物列車を牽引していた蒸気機関車で、1940年(昭和15年)、日本で製造された。
朝鮮総督府時代の1927年(昭和2年)から1945年にかけて、同型のミカサ形308両が、日本および台湾工場で製造された。
朝鮮総督府時代の1927年(昭和2年)から1945年にかけて、同型のミカサ形308両が、日本および台湾工場で製造された。
パシ5型23号 は主に旅客列車を牽引していた蒸気機関車で、日本で製造され、朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)から韓国国鉄で活躍していた。
ピドゥルギ号は韓国国鉄時代の各駅停車で、1961年(昭和36年)からソウル周辺に、国鉄キハ52型をベースとした気動車が日本からの有償援助で導入された。写真は、新潟鉄工所が製造したもの。
1997年(平成9年)にすべて引退した。
1997年(平成9年)にすべて引退した。
電気機器は日立が、車体は大宇重工業が担当した。
設計最高速度は110km/hだが、中央線では100km/hを超えることはできなかったという。2001年(平成13年)に引退した。
設計最高速度は110km/hだが、中央線では100km/hを超えることはできなかったという。2001年(平成13年)に引退した。
ディーゼル機関車3102号は、1960年(昭和35年)頃のアメリカンロコモティブ製である。この時代の日本のディーゼル機関車は、出力などの面でアメリカ製に劣っており、その後も韓国で日本製ディーゼル機関車が走ることはなかった。
1001号は、1974年(昭和49年)、京釜線のソウル近郊区間が電化したとき、ソウル初の国電として同時期に開通した地下鉄1号線に乗り入れた電車である。
同型の1000系電車は、当初、日本で製造された。日本国鉄301系によく似ているが、戸袋窓はなく車体は普通鋼製である。
同型の1000系電車は、当初、日本で製造された。日本国鉄301系によく似ているが、戸袋窓はなく車体は普通鋼製である。
韓国鉄道の線路幅は新幹線と同じ標準機であるため、車内は広く感じるものの、インテリアは301系や103系によく似ている。車体幅は301系より35cm広い。のちに冷房化改造された。
1115号は、1977年(昭和52年)に製造された。
保線用車両のマルチプルタイタンパー(通称:マルタイ)。レールの上を自走しながら、レールをつかんで持ち上げ、ミリ単位で補正していく。同時に、枕木の下に砕石を敷き、突き固めていくことで、レールの歪みを補正してゆく。
周辺地図
参考サイト
- 韓国鉄道博物館
- 韓国鉄道博物館に行ったの巻:ハワイと香港のトレッキング記
- 韓国鉄道の旅:鉄人(テツト)のヨメ
- 日本とのつながりも見える 韓国鉄道100年の歴史【鉄道の旅】【韓国のKORAIL鉄道博物館(チョルドパンムルグァン)】:『成功の法則』と大の日本帝国
近隣の情報
- 韓国の鉄道博物館で日本との技術交流を知る:ぱふぅ家のホームページ
- ソウル特別市は、かつて漢城と呼ばれていた:ぱふぅ家のホームページ
- 景福宮は李氏朝鮮時代の王宮:ぱふぅ家のホームページ
- 韓国と北朝鮮の非武装地帯を行く:ぱふぅ家のホームページ
(この項おわり)