紀元前221年 - 秦による中国統一

秦の始皇帝
秦の始皇帝
紀元前221年、秦王・ (せい) は、中国を統一し、光り輝く天下の統治者という意味の「始皇帝 (しこうてい) 」を名乗る。

春秋戦国時代末期の紀元前259年、政が生まれる。
紀元前247年、政は13歳で秦王に即位する。当時、政治を仕切っていたのは宰相・呂不緯 (りょふい) (政の実父と言われる)であった。政は自ら政治を行うべく、呂不緯を罷免し、服毒自殺に追い込んだ。
政は韓非(法家)の影響を強く受けており、実力主義をとった。また、治水・灌漑事業に力を入れ、秦を強国へと成長させた。
紀元前232年、北の国境を接する (しょう) に大軍を送り込んで支配下におさめる。
紀元前230年、隣国の (かん) を攻め滅ぼす。
紀元前223年、 () を滅ぼす。
紀元前221年、 (せい) を滅ぼし中国の皇帝となる。
秦朝内部では、法吏 (ほうり) と呼ばれる官僚、徐福 (じょふく) ら医学・薬学を通じて不老不死の研究をする方士 (ほうし) 、孔子の学者である儒生 (じゅせい) の三者が権力を競っていた。
紀元前213年、権力闘争が表面化する。まず、法吏は儒生を生き埋めにして政治力を奪うという坑儒 (こうじゅ) を行う。つづいて法吏は、なかなか不老不死の薬を完成できないでいる方士の研究所を焼き捨てるという焚書 (ふんしょ) を行う。
こうした法吏の専横を諫言した始皇帝の長男・扶蘚 (ふそ) は追放される。

紀元前210年7月、始皇帝が没する。始皇帝陵で葬儀を取り仕切ったのは末子の胡亥 (こがい) だった。
やがて各地で秦に対する反乱が起き、紀元前206年12月、咸陽の宮殿に火が放たれ、ついに秦は滅亡する。

反乱軍のリーダーの一人、劉邦 (りゅうほう) によって、紀元前202年、漢王朝(前漢)前漢が成立する。

参考書籍

表紙 秦の始皇帝
著者 陳 舜臣
出版社 文藝春秋
サイズ 文庫
発売日 2003年08月01日頃
価格 481円(税込)
ISBN 9784167150174
中国を知ろうと思えば、それを生んだ秦の始皇帝を知らなければならない。始皇帝が天下を統一したからだ。その統一によって、中国が一つであるという信念が人々の心に刻みこまれ、二十一世紀の今日もなお中国の人々の心に彼は生きているのだ。つまり始皇帝は中国の生みの親である。その始皇帝の出生から秦の滅亡までを語る。
 

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