東急 電車とバスの博物館〜リニューアル

2006年3月30日 撮影
3年半前に訪れている電車とバスの博物館」(神奈川県川崎市宮前区宮崎2-10-12)であるが、2003年(平成15年)3月、東急田園都市線「宮崎台駅」前に移転、リニューアル・オープンした。
さらに、2016年(平成28年)2月19日にリニューアル。親子で並んで操作できる運転シミュレーターが導入されるほか、持参した車両の模型をNゲージジオラマで走らせたり、プラレールで遊べるようになった。
デハ200形 - 東急 電車とバスの博物館
1955年(昭和30年)に東急玉川線に登場したデハ200形(写真はデハ204号)――愛称「ペコちゃん」――は、そのまま引っ越してきた。
ペコちゃんは、当時としては珍しく軽量、省エネ化が図られており、その下ぶくれな車体構造のおかげでシートも広い。
また、専用の連接台車により乗降口の段差も少なく、いまでいうバリアフリーを実現していた。しかし、そのユニークさが災いしメンテナンス性が悪く、玉川線の廃止にともない1969年(昭和44年)に引退した。いまでは、この博物館に展示されている車両を残すのみである。環境保護や昭和レトロの流れに乗じて復活させてほしいものである。
RB10 - 東急 電車とバスの博物館
写真は、日野自動車の大型バスRB10(1966年)。運転席に座り、ハンドルや自動扉、方向幕などを実際に動かすことができる。保存状態も良く、子どもは楽しめるだろう。
方向幕に「高津営業所」と表示されている通り、最後は高津営業所で活躍し、その寿命を全うし1981年(昭和56年)12月に引退したようだ。
HOゲージ模型 - 東急 電車とバスの博物館
3階ではHOゲージ模型が走っている。
Nゲージより大きく精巧に出来ており、なかなかの迫力である。様々な形式の電車模型の運転と映像が楽しめるパノラマシアターは毎日決まった時刻に運行中。
8090系シミュレータ - 東急 電車とバスの博物館
写真は8090系のシミュレータ。
本物そっくりの運転席のカットモデルに乗って、実際の路線の映像を見ながら運転を体験できる。
YS-11 - 東急 電車とバスの博物館
YS-11 も展示されている。“電車とバス”の博物館なのに、なぜ飛行機が――と思って調べたら、東京急行電鉄が日本エアシステム(現日本航空ジャパン)の親会社であったことに由来するためだそうである。
YS-11は、1958年(昭和33年)12月11日、日本飛行機の杉田工場にモックアップ展示が行われ、その時のキャッチフレーズが「横浜・杉田で11日に会いましょう」だったことから、Y(横浜)S(杉田)-11と名付けられたという伝説が流れているが、実際は、「輸送機設計研究協会」の頭文字と、機体とエンジンがそれぞれ最初のものであるという番号からYS-11と名付けられた。日本らしいベタな型番である。
YS-11シミュレータ - 東急 電車とバスの博物館
YS-11の操縦席はシミュレータになっている。
YS-11の開発は、東條英機元首相の次男で、零戦の設計に携わった東條輝雄が中心となって進められた。軍用機の影響が色濃く、メンテナンス性は悪かったものの、非常に頑丈な機体であった。試作機は1962年(昭和37年)8月30日に初飛行し、合計182機が製造された。国内線では2006年(平成18年)9月30日に引退したが、13カ国に輸出された76機の中には現役続投するものがある。

交通アクセス

入館料は、大人100円、小・中学生50円、6歳未満無料。
開館時間は、平日・土曜日10:00~17:00、日曜・祝日9:30~17:00。休館日は毎週月曜日(月曜が祝日・振替休日の場合は翌日)。
東急電鉄関連

参考書籍

表紙 最後の国産旅客機YS‐11の悲劇
著者 前間孝則
出版社 講談社
サイズ 新書
発売日 2000年05月20日頃
価格 968円(税込)
ISBN 9784062720151
いまから四十年も前に産・官・学が一体となり、広く国民から支持されてスタートしたYS11の事業だが、グローバル化がキーワードになっている現在から見れば、それは貧しくて経済力もなかった当時の日本が、いきなり“グローバルスタンダード”を獲得しようと挑んだドン・キホーテ的ともいえる試みだったのである。量産して世界十二カ国のエアラインにも輸出を果たしたが、大赤字を出し、「今後も改善の見込みはない」として生産は中止された。戦後最大の航空機プロジェクトで、「技術的には成功したが、経営的には失敗した」と一言でかたづけられたYS11の事業を振り返る時、そこには今日、学ぶべき負の教訓もいたるところに見いだすことができる。
 

近隣の情報

(この項おわり)
header