大森貝塚は2つある

2007年4月28日 撮影
大森駅~大森貝塚~立会川駅: 2.4 キロメートル
(徒歩で約 29 分、自転車で約 10 分、車で約 4 分)

大森貝塚を見に行こうという話になり、JR 大森駅を降り、池上通りを北上した。

大森貝墟

大森貝塚入口
まず、目に入ったのが「国史跡 大森貝塚 入口」という道標。
大森貝塚
NTT データ(東京都大田区山王1-3-5)とモントレ山王の間の路地を入っていくと、JR の線路際に「大森貝墟」という碑があった。1930 年(昭和 5 年)4 月に建立とのこと。
大森貝墟
人影もなく、事前に見た「碑」とは違う。そこで携帯電話で地図を調べたところ、この先にも「大森貝塚」があるらしい。

大森貝墟の場所

【鉄道】
  • JR「大森駅」下車、徒歩 5 分
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:大森貝墟

大森貝塚

大森貝塚入口
池上通りに戻って北上を続けると、品川区との区境を越え、「品川区立大森貝塚遺跡庭園」(東京都品川区大井 6-21-6)が見えてきた。NTT データ・ビルの脇に比べると、こちらは本格的な公園だ。
大森貝塚
JR の線路際へ降りてみると、やはり石碑がある。
大森貝墟」も「大森貝塚」も JR の線路の間際にあり、電車の中から見ることができるほどだ。
大森貝塚
こちらの石碑には「大森貝塚」と刻まれており、1929 年(昭和 4 年)11 月に建立されたとある。
どちらが本物かということは、このあと、品川歴史館へ足を運んでわかることになる。
大森貝塚の大きな写真大きな写真
(1600×1200 ピクセル, 443 Kbyte)
モース博士
大森貝塚は、アメリカ人の動物学者モース(Edward Sylvester Morse; 1838-1926)が 1877 年(明治 10 年)6 月 19 日、横浜から東京へ向かった際の列車の車窓から発見した日本最初の貝塚として有名だ。モースが実際に発掘を行ったのは、1877 年(明治 10 年)10 月に入ってからだった。この発掘時の様子は、のちに "Shell Mounds of Omori"(「大森貝塚」(岩波文庫、1983 年)として整理され、明治天皇も天覧された。

左の写真は、大森貝塚遺跡庭園にあるモース博士像。
ところが、"Shell Mounds of Omori" には発掘場所の地番や周辺地図などはなく、下記のように記述されているだけだったため、モースの死後、発掘場所を巡って混乱が生じた。そんな状況で、「大森貝塚」と「大森貝墟」の2つの石碑が建ってしまったわけである。

大森貝塚は、東京横浜間の帝国鉄道の西側に位置し、東京から 6 マイル弱の距離にある。東京行きの汽車が大森駅を発ってすぐ車窓から見える。
鉄道は、貝塚を縦断して走っており、線路を隔てて崖と逆側の畑には、かつて貝塚を構成していた土器破片や貝殻が散らばっている。(「大森貝塚」20 ページより)

大森貝塚
発掘から 100 年を経た 1977 年(昭和 52 年)、当時の地権者であった櫻井甚右衛門への発掘補償金関連文書が発見され、発掘場所が「大井村 2960番地字鹿島谷」、現在の品川区大井であることが分かった。さらに、1984 年(昭和 59 年)に「大森貝塚」碑周辺を調査し、縄文時代の貝塚が再発見されたことから、モースの発掘場所は「大森貝塚」碑周辺であったことが確認された。

そこで、品川区は「大森貝塚」碑の周囲 1,165 平方メートルを買収し、1985 年(昭和 60 年)に品川区立大森貝塚遺跡庭園としてオープンした。さらに約 5,200 平方メートルの土地を加え、1996 年(平成 8 年)に新装オープンした。
大森貝塚
大森貝塚遺跡庭園には、写真のように貝塚が保存展示されている。

一方、「大森貝墟」碑の周辺は、1977 年(昭和 52 年)10 月に東京都大森貝塚保存会と日本電信電話公社(当時)によって現在のように整備された。

大森貝塚の場所

【鉄道】
  • JR「大森駅」下車、徒歩 15 分
  • 京浜急行「大森海岸駅」下車、徒歩 20 分
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出発地の最寄駅:

目的地:大森貝塚
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(この項おわり)
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