さきたま古墳公園は東日本最大の古墳遺跡

2009年4月4日・6月24日 撮影

目次

丸墓山古墳

丸墓山古墳 - さきたま古墳公園
丸墓山古墳 2009年4月4日撮影
さきたま古墳公園(埼玉県行田市大字埼玉4834)は、8基の前方後円墳と1基の円墳が集中する東日本最大の古墳遺跡である。
1938年(昭和13年)8月に国の史跡の指定を受け、1968年(昭和43年)には金錯銘鉄剣 (きんさくめいてっけん) が出土したことで一躍脚光を浴びた。
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(1920×1405 ピクセル, 1221 Kbyte)
丸墓山古墳 - さきたま古墳公園
丸墓山古墳 2009年4月4日撮影
1976年(昭和51年)4月から公園としての整備が進められ、2005年(平成17年)からは世界遺産への登録運動が起きている。
丸墓山古墳 (まるはかやまこふん) は、直径105メートル、高さ18.9メートル――日本最大の円墳だ。周囲には桜の木が植わっており、花見には最適。古墳の上からの眺望もなかなかのもの。
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(1920×1440 ピクセル, 1652 Kbyte)
丸墓山古墳 - さきたま古墳公園
丸墓山古墳 2009年6月24日撮影
こちらは、同じ年の6月24日に撮影した丸墓山古墳――桜は散り、新緑に覆われている。
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(1920×1138 ピクセル, 659 Kbyte)
さきたま古墳公園
さきたま古墳公園 2009年4月4日撮影
市内循環バス(西循環コース)のバス停。

JR高崎線「行田駅」にはレンタサイクルもあったが、残念ながら大人用のみ。こぱふぅが乗ることができるサイズがなかった。
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(1600×1370 ピクセル, 1112 Kbyte)

瓦塚古墳

瓦塚古墳 - さきたま古墳公園
瓦塚古墳 2009年4月4日撮影
瓦塚古墳 (かわらづかこふん) は、全長約80メートル、高さ5メートル――明治初期、近くに瓦職人が住んでいたことから、この名前が付いた。

発掘調査によって、古墳の周囲から多くの埴輪が出土した。
その一部は、公園内にある埼玉県立さきたま史跡の博物館に展示されているが、ともかく大きい。6世紀前半から中頃にかけて製作されたものとされている。
移築民家 - さきたま古墳公園
移築民家 2009年4月4日撮影
瓦塚古墳の近くには古民家があるが、これは農家を移築したもので、瓦職人とは関係はない。
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(1920×1129 ピクセル, 661 Kbyte)
この近くに埼玉県立さきたま史跡の博物館がある。金錯銘鉄剣などの国宝や重要文化財が多数展示されているので、ぜひ見ておこう。埴輪や勾玉作りも体験できる。(大人有料、撮影禁止)

金錯銘鉄剣は、1968年(昭和43年)、稲荷山古墳の発掘調査から出土した副葬品であるが、何の変哲もない錆びた鉄剣として倉庫の片隅に放置されていた。ところが、1978年(昭和53年)に防腐処理した際、115の文字が彫られているのが発見され大騒ぎとなった。およそ1500年(明応9年)前に掘られてと考えられている金文字は、もちろん日本最古の漢字である。いまは窒素ガスで満たされたガラスケースに展示されている。

奥の山古墳

奥の山古墳 - さきたま古墳公園
奥の山古墳 2009年4月4日撮影
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馬形埴輪 - さきたま古墳公園
馬形埴輪 2009年4月4日撮影
奥の山古墳 (おくのやまこふん) は、全長約70メートル、高さ7.4メートル――さきたま古墳群の中で愛宕山古墳に次いで小さい。いままで行われた発掘調査範囲が狭く、謎に包まれている古墳である。
現在は周堀に水が溜まっているが、もともとは空堀だったと考えられている。

奥の山古墳の前には馬形埴輪のレプリカがある。実物は埼玉県立さきたま史跡の博物館で見ることができるのだが、実物もこのくらいの大きさである。本当に大きい。よく割れずに焼けたものだと感心する。
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(1177×1920 ピクセル, 1117 Kbyte)

鉄砲山古墳

鉄砲山古墳 - さきたま古墳公園
鉄砲山古墳 2009年4月4日撮影
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鉄砲山古墳 (てっぽうやまこふん) は、全長約109メートル、高さ10.1メートル――江戸時代に古墳の周辺が忍藩 (おしはん) の砲術練習所であったことから、この名が付けられた。御風呂山 (おふろやま) と呼ばれていた時期もある。

墳丘が二重の堀に囲まれていることは確認されているが、発掘調査が十分なされておらず、分からないことが多い。6世紀後半に造られたと推定されている。
鉄砲山古墳 - さきたま古墳公園
鉄砲山古墳 2009年4月4日撮影
古墳の周囲にはスイセンなどが植えられており、芝生のある広場もある。ただし、墳丘に登ることはできない。
犬を散歩している人や運動をしている人の姿を見かけた。
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(1920×1440 ピクセル, 1628 Kbyte)
鉄砲山古墳 - さきたま古墳公園
鉄砲山古墳 2009年4月4日撮影
桜の木も多く、ちょうど見頃であった。
道路を挟んで南側には駐車場がないためか人数もまばらで、花見をするには良い場所だ。
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(1920×1418 ピクセル, 1478 Kbyte)

二子山古墳

二子山古墳 - さきたま古墳公園
二子山古墳 2009年4月4日撮影
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二子山古墳 (ふたごやまこふん) は、全長138メートル、高さ14.9メートル――さきたま古墳群の中で最大のものだ。とはいえ、大仙古墳(仁徳天皇陵;大阪府堺市)の全長486メートルに比べたら、だいぶ小ぶりである。
6世紀初頭に造られたと考えられている。

墳丘に登ることはできないが、堀に挟まれた中堤は遊歩道になっており、四方から墳丘を見学することができる。
さきたま古墳群のうち、稲荷山古墳、二子山古墳、将軍山古墳には、中堤の西側に「造出し (つくりだし) 」という突出部分を持っている。埋葬のための儀式に使ったという説もあるが、詳しいことは分かっていない。

古墳大きさランキングによると、全長200メートル以上の前方後円墳は全国に37基も見つかっており、その大部分が大阪府と奈良県に集中している。

将軍山古墳

将軍山古墳 - さきたま古墳公園
将軍山古墳 2009年4月4日撮影
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将軍山古墳 (しょうぐんやまこふん) は、全長約90メートル、高さ8.2メートル――明治時代に後円部にあった横穴式石室が発掘され、馬具や環頭太刀など豊富な副葬品が出土した。6世紀後半に造られた。

墳丘東側が削られており、崩落した墳丘部分をドームで覆い、古墳の内部に入って複製の石室や遺物の出土状況を見学できる将軍山古墳展示館が建設された。また、墳丘の周りには埴輪が配され、
ここに展示されている馬具を見ると、大陸の騎馬民族のものであるような印象を受ける。縄文時代の遺跡である三内丸山(青森県青森市)や遮光器土偶(青森県木造町)とは別世界のデザインである。
将軍山古墳 - さきたま古墳公園
将軍山古墳 2009年4月4日撮影
将軍山古墳の墳丘に登ることはできない。墳丘には菜の花が咲き乱れており、黄色く染まっていた。
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(1600×1200 ピクセル, 1289 Kbyte)

稲荷山古墳

稲荷山古墳 - さきたま古墳公園
稲荷山古墳 2009年4月4日撮影
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稲荷山古墳 - さきたま古墳公園
稲荷山古墳 2009年6月24日撮影
稲荷山古墳 (いなりやまこふん) は、全長120メートル、高さ10.7メートル――5世紀後半に造られたと考えられている。
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稲荷山古墳 - さきたま古墳公園
稲荷山古墳 2009年4月4日撮影
稲荷山古墳には階段が付いており、登ることができる。
かつて墳丘の上に稲荷神社があったことから、この名が付けられた。
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1968年(昭和43年)の発掘調査で出土した鉄剣は、1978年(昭和53年)に防腐処理した際、115の文字が彫られているのが発見され大騒ぎとなった。これが国宝「金錯銘鉄剣 (きんさくめいてっけん) 」である。
ここに刻まれている「ワカタケル」は、「古事記」「日本書紀」に登場する第21代天皇・雄略天皇のことだと考えられている。また、ヲワケがワカタケルに仕えており、その功績によって鉄剣を授かったと書かれている。雄略天皇の在位は456年~479年とされているので、この頃すでに、天皇家が関東と交流があったことを意味する。

愛宕山古墳

愛宕山古墳 - さきたま古墳公園
愛宕山古墳 2009年4月4日撮影
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愛宕山古墳 (あたごやまこふん) は、全長53メートル、高さ3.3メートル――さきたま古墳群の中で最も小さい。中央駐車場のすぐ東に位置し、気をつけていないと見逃してしまう。6世紀前半に造られたと考えられている。かつて、墳丘の上に愛宕神社が祀られていたことからこの名が付いた。

愛宕山古墳の裏手、天祥寺の脇には「古墳亭」という手打ちうどんの店がある。かなり人気の店らしく、午後1時には店じまいしていた。
なお、公園内や周囲には食堂や商店がほとんど無いので、お弁当を持参した方がいいだろう。

サイクリングコース

北鴻巣駅→さきたま古墳公園:4.8km
(自転車:19分,徒歩:58分)
さいたま緑道 - さきたま古墳公園
さいたま緑道 2009年4月4日撮影
奥の山古墳から「さきたま緑道」がスタートする。ちょうど桜が咲いていた。
JR北鴻巣駅まで約4.5キロ。自転車道も整備されているので、サイクリングに良さそうだ。
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さかもと - さきたま古墳公園
さかもと 2009年4月4日撮影
駐車場の入口には「さかもと」という土産物屋がある。埴輪や蝋石のほか、行田名物「ゼリーフライ」を食べることができる。
埴輪 - さきたま古墳公園
埴輪 2009年4月4日撮影
駐車場前の歩道には、埴輪と埼玉県章が刻まれている。
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史跡埼玉古墳群
史跡埼玉古墳群 2009年4月4日撮影
さきたま古墳群は、1938年(昭和13年)8月に国の史跡の指定を受けた。当時の石柱が、丸墓山古墳の前に残っている。
このあたりは桜がとてもきれいだ。
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埼玉県名発祥の地

埼玉県名発祥の地
埼玉県名発祥の地 2009年4月4日撮影
JR行田駅を降りると、「埼玉県名発祥の地」という看板が目に入る。
行田市大字埼玉 (さきたま) は、「万葉集」に「さきたまの津」という記述があり、「風土記」にも「武蔵国埼玉郡 (さきたまごおり) 」とあるように、「埼玉県」という地名の発祥地であるとされている。荒川と利根川に挟まれた交通の要衝だった。
埼玉県名発祥の地の大きな写真大きな写真
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明日行われる「行田市鉄剣マラソン大会」のポスターが貼られていた。古墳時代の装束で鉄剣をぶら下げて走るわけではないらしい(笑)。普通の市民マラソンとのこと。
かつて、このあたりの住所表記は、埼玉県北埼玉埼玉村大字埼玉字下埼玉だった。

室町時代には難攻不落と言われた忍城 (おしじょう) が築かれ、成田市を中心とする武士団の本拠地となった。戦国時代には北条氏と結び、豊臣秀吉の小田原征伐の際に石田三成の攻撃を受けたが、小田原城開城まで持ちこたえた。
江戸時代に忍藩 (おしはん) となった。江戸時代に足袋を生産していた町人町の行田が広く知られるようになり、行田足袋として人気を博した。1949年(昭和24年)5月3日に忍市として市政施行しながら、すぐに行田市に改名したという経緯がある。
足袋を作りながら手軽に食べられるよう、前述のゼリーフライが郷土料理として定着した。
太平洋戦争後はナイロン靴下が主流となり足袋の生産量は激減したが、今日でも足袋の全国シェアの35%を占めている。

参考書籍

表紙 鉄剣銘一一五文字の謎に迫る・埼玉古墳群
著者 高橋一夫(1946-)
出版社 新泉社
サイズ 単行本
発売日 2005年06月
価格 1,650円(税込)
ISBN 9784787705365
世紀の大発見といわれた埼玉県・稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣。銘文に記された「ワカタケル大王」とは、鉄剣の主「ヲワケ」とは、そして被葬者はだれなのか。銘文の内容を埼玉古墳群全体の考古学的検討から明らかにし、古墳を築造した武蔵国造一族の盛衰に迫る。
 
表紙 ワカタケル大王とその時代―埼玉稲荷山古墳
著者 小川良祐/狩野久
出版社 山川出版社(千代田区)
サイズ 単行本
発売日 2003年05月
価格 2,090円(税込)
ISBN 9784634607903
埼玉稲荷山古墳出土の鉄剣から金錯銘が発見されて四半世紀。日本の5世紀を考える最新情報。ワカタケル大王、ヲワケノオミ、埼玉稲荷山古墳の…いま。
 

参考サイト

交通アクセス

【鉄道】
  • JR高崎線「行田駅」下車、北口から市内循環バス(西循環コース)に乗り約15分、「埼玉古墳公園前」下車
  • 秩父鉄道「行田市駅」下車、市内循環バス(西循環コース)に乗り約20分、「埼玉古墳公園前」下車
  • JR高崎線「吹上駅」下車、朝日バス「佐間経由行田車庫」または「佐間経由行田工業団地」行で「産業道路」下車、徒歩約15分
  • JR高崎線「北鴻巣駅」下車、さきたま緑道を利用し約5km(徒歩約1時間)
埼玉古墳 関連

近隣の情報

(この項おわり)
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