二条城で江戸幕府が始まり、そして終わった

2014年6月13日 撮影
本丸御殿 - 二条城
二条城(京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541)は、1603年(慶長8年)に徳川家康が造営した平城で、三代将軍・家光が伏見城の遺構を移すなどして増築を行い、1626年(寛永3年)に現在の規模になる。
本丸御殿 - 二条城の大きな写真大きな写真
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写真の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、1893年(明治26年)から翌年にかけて本丸内に移築したものだ。
創建当初の本丸御殿は、二の丸御殿に匹敵する規模を誇り、内部は狩野派の障壁画で飾られていたという。また、本丸には五層の天守閣がそびえていたが、1750年(寛延3年)の落雷で焼失。1788年(天明8年)には京都市中の大火に遭い、御殿も焼失してしまった。
唐門 - 二条城
写真の唐門(重要文化財)は、切妻造、桧皮葺の四脚門で、その前後は唐破風造となっており、彫刻がふんだんに使われている。2013年(平成25年)9月に修理が完了した。
修理の過程で、天皇家を表す菊の金具下から徳川家の葵の紋が見つかった。
唐門 - 二条城の大きな写真大きな写真
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二の丸庭園 - 二条城
二条城には、江戸時代につくられた二の丸庭園、明治時代の本丸庭園、昭和時代の清流園の3つの庭園がある。
二の丸庭園 - 二条城の大きな写真大きな写真
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写真の二の丸庭園は、二条城造営時に造られ、1626年(寛永3年)の御水尾天皇行幸のために一部回収したと伝えられている。書院造庭園である二の丸庭園は神仙蓬莱の世界を表した庭園と言われ、また八陣の庭とも呼ばれている。
特別名勝に指定されている。
二の丸御殿 - 二条城
唐門を抜けると、写真の二の丸御殿の車寄 (くるまよせ) が目に入る。床は牛車で中に入れるように四半敷になっていることから、この名が付いている。

豪華な欄間彫刻が施されており、屋根は桧皮葺 (ひわだぶき) になっている。
二の丸御殿 - 二条城の大きな写真大きな写真
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二条城の歴史
二条城全体は国の史跡に指定されている他、国宝の二の丸御殿をはじめ、多数の重要文化財がある。1994年(平成6年)には、ユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に「古都京都の文化財」として登録された。

1603年(慶長8年)2月、伏見城において征夷大将軍の宣旨を受けた徳川家康は、二条城において重臣や公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀を行った。将軍就任の手順はその後、三代将軍家光まで受け継がれる。

家光の後、二条城は将軍を迎え入れることもなく荒廃するが、1863年(文久3年)に十四代将軍家茂が上洛し二条城に入る。
1867年(慶応3年)10月、徳川幕府最後の将軍慶喜は、二条城において大政奉還を行う。
二条城の歴史の大きな写真大きな写真
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二条城 関連

交通アクセス

【鉄道】
  • 地下鉄東西線「二条城前駅」下車すぐ
【バス】
  • JR京都駅から 市バス9・50・101号系統「二条城前」下車
  • 阪急 烏丸駅から 市バス12・101号系統「二条城前」下車
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出発地の最寄駅:

目的地:二条城

近隣の情報

(この項おわり)
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