月窓寺は吉祥寺の大地主
2023年5月27日 撮影
本堂
月窓寺
(
げっそうじ
)
(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-26)は、洞巌龍雲大和尚によって開かれた曹洞宗の寺院で、正式には雲洞山天暁院月窓寺という。
吉祥寺の門前にあった4寺院も引っ越した。現在も
四軒寺
(
しけんでら
)
と呼ばれる安養寺、光専寺、蓮乗寺、そして月窓寺である。
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(2560×1710 ピクセル, 2326 Kbyte)
墓地
明暦の大火
で焼け出された本郷・吉祥寺の門前町住人が、1659年(万治2年)、武蔵野の原野を開拓し入植したのが吉祥寺の始まり。
月窓寺
は太平洋戦争で荒廃するが、1956年(昭和31年)に本堂・観音堂・庫裡を再建した。
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(1920×1280 ピクセル, 1596 Kbyte)
萬霊搭
四軒寺
は、吉祥寺周辺に広大な土地を所有していた。1899年(明治32年)、甲武鉄道(現・JR中央線)が吉祥寺駅を建設する際、その土地を提供したのも四軒寺だった。
現在も、
サンロード
や
ハモニカ横丁
の土地の所有者は月窓寺で、公示地価の高さも相まって、不動産収入がたいへん多い。わが国の宗教法人の納税番付では、1位の創価学会、2位の明治神宮に続き、3位の座にある。ちなみに、四軒寺の蓮乗寺は4位に、光専寺は9位である。
吉祥寺は、バブル経済期にも地上げや立ち退き、強制手段を伴う再開発とは無縁で、新型コロナ禍では戦後初めて地代を20%減額し、商店街を助けた。
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(1343×1920 ピクセル, 1425 Kbyte)
観音堂
本堂左脇にある観音堂には白衣観音坐像(武蔵野市指定有形文化財)が安置されており、これは武蔵野市内最古のもの(1688年)で、近世作例としては珍しい乾漆づくりである。毎年8月初旬に御開帳となる。同時に境内で
納涼盆踊り大会
が催される。
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(1920×1306 ピクセル, 1357 Kbyte)
玄奘三蔵像
白衣観音坐像
は、元禄年間(1688-1704)につくられたものである。尊像は京都の大仏師によってつくられ、光背、台座は江戸でつくられた。
坐像は37㎝、光背の高さ62㎝、台座高37㎝、総高は99㎝の乾漆造金色彩である。また台座内部の骨組枠に「元禄二年成就叶」の墨書がある。
この白衣観音坐像は、馬頭観音信仰と結びついて、村民に信仰されたものと推定される。
観音堂の左手には
玄奘三蔵像
がある。
1980年(昭和55年)4月の吉祥各落慶を記念し、政治家であり彫刻家でもあった
平沼弥太郎
(1892~1985年)が開いた
白雲山鳥居観音
にある玄奘三蔵像の元型から鋳造したもの。
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(1259×1920 ピクセル, 1417 Kbyte)
山門(内側)
山門は
サンロード商店街
に面しており、地元に密着したイベントを催している。8月の盆踊りもそうだし、毎年4月初旬に、
花まつり
を催し、地区の寺院、地域の商店街と協力して、お釈迦様のお誕生日を盛大にお祝いする。白象に導かれた稚児行列が街を練り歩く。
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(1920×1347 ピクセル, 1272 Kbyte)
山門(外側)
毎年10月に、斯界を代表する能楽師を招き、
薪能
を催す。篝火と楽の音が幽玄の世界へ誘う。
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(1920×1670 ピクセル, 1456 Kbyte)
交通アクセス
【鉄道】
JR・京王線「吉祥寺駅」から徒歩約8分
出発地の最寄駅:
目的地:月窓寺
参考サイト
四軒寺 -安養寺・光専寺・蓮乗寺・月窓寺
:武蔵野市観光機構
<新型コロナ>地代 1年間20%減額へ 大地主の3寺 吉祥寺・南北商店街
:東京新聞,2020年7月17日
(この項おわり)
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2023年
吉祥寺の門前にあった4寺院も引っ越した。現在も四軒寺と呼ばれる安養寺、光専寺、蓮乗寺、そして月窓寺である。