

Mt.USUテラス
2021年(令和3年)春、有珠山ロープウェイのゴンドラのリニューアルにともない、有珠山洞爺湖展望台のデッキの一部拡張を行い、Mt.USU テラスがオープンした。ソファやカフェを設置し、のんびりと絶景を眺められるようになっている。

洞爺湖

有珠山

内浦湾
それから江戸時代までは目立った活動はなく、1668年(寛文8年)8月、弘前にも火山灰を降らせた大噴火が起こり、環境が悪化し、翌年にシャクシャインの戦いと呼ばれるアイヌの大規模蜂起が起きた。

外輪山遊歩道
有珠山洞爺湖展望台から南東外輪山にある火口原展望台から、火口を半周して反対側の外輪山展望台までは歩道が整備されている(冬季通行止め)。

洞爺湖では、2008年(平成20年)7月7日から9日まで第34回主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)が開かれた。

坂田銀時が携行している洞爺湖木刀は、耐水性がも高く伸縮率も低いため変形しにくいという特徴がある道内産ナラ材を使用し、職人が一本一本木取りから塗装まで丁寧に製作し、「洞爺湖」の文字を彫り込んだ究極の一品だ。

洞爺湖では、2008年(平成20年)7月7日から9日まで第34回主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)が開かれた。

坂田銀時が携行している洞爺湖木刀は、耐水性がも高く伸縮率も低いため変形しにくいという特徴がある道内産ナラ材を使用し、職人が一本一本木取りから塗装まで丁寧に製作し、「洞爺湖」の文字を彫り込んだ究極の一品だ。

火口原展望台
1663年(寛文3年)の噴火で南外輪山が形成され、その後の噴火で、小有珠・大有珠・あがり山が誕生した。
その後、火口原は森林に覆われ、牛たちが草をはみ、静かな銀沼のほとりにでは子どもたちが歓声を上げていた。
その後、火口原は森林に覆われ、牛たちが草をはみ、静かな銀沼のほとりにでは子どもたちが歓声を上げていた。

火口原展望台
ところが1977年(昭和52年)から翌年にかけての噴火で、これらの森林は破壊され、銀沼は火口に変貌した。有珠新山の隆起断層は、おがり山を分割し、北側を180メートルも押し上げる一方、小有珠や大有珠南部は70メートルほど沈み込んだ。

付近の地図
参考サイト
(この項おわり)
標高540メートルの展望台から、向かって左に洞爺湖を、右側に昭和新山を見ることができる。