
1977年(昭和52年)火山遺構公園

1977年(昭和52年)火山遺構公園
このような短時間で噴火することはこれまでなかったので大混乱となったが、230名の入院患者がいた三恵病院の故・加藤和雄院長は、町長と協議し、廃校した小学校を避難場所に決め、病院スタッフの誘導により約12kmの道のりを整然と避難した。
噴火活動中に有珠新山が成長を続け、外輪山北部が約200メートルも北東方向へせり出した。これにともない、病院付近の地盤は25メートルほど洞爺湖側へ動き、噴火から数日で病院の建物はひび割れ、2ヶ月後には徐々に倒壊が始まった。

洞爺湖

北海道洞爺湖サミット宣言の地
洞爺湖では、2008年(平成20年)7月7日から9日まで第34回主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)の開催が宣言された花で飾られた石碑が建っている。議長は第91代内閣総理大臣の福田康夫氏であったが、宣言が行われた2007年(平成19年)5月19日には安倍晋三氏が第90代内閣総理大臣だった。

サミットでは、「北海道洞爺湖サミット首脳宣言」を発出するとともに、「世界の食料安全保障」「テロ対策」「ジンバブエ」という3つの独立した首脳文書を発出した。

サミットでは、「北海道洞爺湖サミット首脳宣言」を発出するとともに、「世界の食料安全保障」「テロ対策」「ジンバブエ」という3つの独立した首脳文書を発出した。
付近の地図
参考サイト
- 1977年(昭和52年)火山遺構公園:壮瞥町
- カルデラ湖 洞爺湖のおはなし:洞爺カラーズ
- 洞爺湖温泉観光協会
- 北海道洞爺湖サミット
近隣の情報
- 昭和新山鉄道遺構公園は旧胆振線の遺構:ぱふぅ家のホームページ
- 昭和新山は私有地にある:ぱふぅ家のホームページ
- オロフレ峠は洞爺湖と登別を結ぶ:ぱふぅ家のホームページ
- 氷筍にょきにょき2500本、最大4m(2019年1月23日)
(この項おわり)
1977年(昭和52年)の噴火では、前兆地震が始まってから僅か32時間後の8月7日午前9寺12分に噴火が始まった。