紀元前1792年 - ハンムラビ王の即位

社会正義を目指し、ハンムラビ法典を制定
ハンムラビ法典
紀元前1792年、ハンムラビはバビロン第1王朝の6代目の王に即位した。
弱小の都市国家バビロニアは、ハンムラビの卓越した外交・軍事手腕によって、周辺諸国を飲み込み、メソポタミアの再統一を果たした。

ハンムラビ王は1750年に他界するまで王位に留まり、官僚と軍隊を整備し、駅伝制や灌漑用水路の建設を行い、交易・商業を保護し、バビロン第1王朝は全盛期を迎えた。
ハンムラビ王の治世に定められたのが、全282条からなるハンムラビ法典である。
ハンムラビ法典は、完全な形で現在に伝わっている世界で2番目に古い法典である。
1901年、イランのスサで発見された玄武岩製の石碑(高さ2.25m、幅0.65m)は、法典の写本で、バビロンのマルドゥク神殿に置かれ、楔形文字の基本になったとされている。現在、パリのルーブル美術館が所蔵している。

目には目を、歯には歯を」(196条・197条)が有名だが、犯罪に対して厳罰を処するものではなく、社会正義の確立するために、報復合戦を止め、犯罪に対応する刑罰の限界を定める罪刑法定主義の始祖とみなされている。

文字の誕生

紀元前3500年頃にシュメール文明がはじまり、メソポタミア最南部にシュメール人による都市ウル、ウルク、エリドゥなどが誕生した。
メソポタミア地域の土地は肥沃で、穀物の収量が他地域より高く、農耕民族が定着した。一方で、この地域には木材や石材が少なく、日干し煉瓦で住居を建てるような有様だったそこで遊牧民と交易することで不足している木材や石材を輸入し、穀物を輸出した。その記録を取るために、世界で初めて文字(楔形文字 (くさびがたもじ) )が誕生した。
バビロン第一王朝も、セム系遊牧民のアムル人が建国した。

この時代の世界

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