紀元前971年 - ソロモン王の即位

エルサレム神殿(第一神殿)建設
ソロモン王
ソロモンは父王ダビデの後を継ぎ、紀元前971年頃、イスラエル王国の第3代の王となった。

エジプトに臣下の礼をとり、ファラオの娘と結婚することで安全保障を確保、初めてエルサレム神殿を築くなど、イスラエル王国の最盛期を築いた。
紀元前10世紀頃、士師 (しし) として古代イスラエルを指導していたサムエルは、王政を求める民の声を受け、神の言葉を聞いた。このとき選ばれたのがベニヤ民族のサウルである。
サウルはイスラエルの王として、ペリシテ人や周辺民族と勇敢に戦ったが、「アマレク人とその属するものを一切滅ぼせ」という神の命令に従わなかった。
サムエルはサウルを見捨て、再び神の言葉を聞き、紀元前1000年頃、エッサイの子ダビデに油を注いだ。

ダビデは、ペリシテ人最強の戦士ゴリアテを下し、領土を拡大し、民衆の支持を集めた。
これを妬んだサウルは、ペリシテ人を率いて何度もダビデに挑むが、ことごとく敗れ去った。そしてダビデは、サウルの娘ミカルをめとった。
サウルと息子ヨナタンがペリシテ人に追われ自害すると、ダビデはユダの王として即位した。
ダビデは、サウルの後を継いだ息子イシュ・ボシェトの軍勢を破り、エルサレムに都を置き、全イスラエルの王となった。

ダビデが晩年、家臣の妻であるバト・シェバとの間に儲けた2人目の息子がソロモンである。
ダビデの死後、ソロモンは王位継承者を次々に倒し、紀元前971年頃、イスラエル王国の第3代の王となった。

あるとき、神がソロモンの夢枕に立ち「何でも願うものを与えよう」というと、ソロモンは知恵を求めた。このことからソロモンは知恵者のシンボルとなった。
ソロモンはダビデとは反対に内政を重視し、外交や交易によって富を増やし、統治機構としての官僚制を導入した。ファラオの娘を娶ったのも、その一環である。
こうしてイスラエル王国の領土は拡大し、フェニキアの技術を導入してダビデが為しえなかったエルサレム神殿(第一神殿)を建設した。

だが、国の繁栄は富の偏在をもたらし、ソロモンの死後、イスラエル王国は北のイスラエル王国と、南のユダ王国に分裂してしまう。

エルサレム3千年史

できごと
B.C.950年頃 第一神殿の建設(ソロモン王)
B.C.586年 バビロン捕囚(ネブカドネザル王)
B.C.515年 第二神殿の建設
B.C.20年 第三神殿の建設(ヘロデ大王)
28年頃 イエス・キリストの処刑
70年 エルサレム包囲戦(アグリッパ2世)→嘆きの壁
313年 ミラノ勅令(コンスタンティヌス1世)
320年頃 聖ヘレナの巡礼→聖墳墓教会
619年 ムハンマドが天使に導かれエルサレムを訪問→岩のドーム
638年 イスラムによるエルサレム征服
1099年 第1回十字軍がエルサレム王国を建国
1187年 アイユーブ朝がエルサレムを奪還
1922年 オスマン帝国の崩壊により、イギリス委任統治領パレスチナ成立(首都エルサレム)
1947年 イスラエルが独立宣言

参考書籍

表紙 物語イスラエルの歴史
著者 高橋正男
出版社 中央公論新社
サイズ 新書
発売日 2008年01月25日頃
価格 1,078円(税込)
ISBN 9784121019318
イスラエルという民族名は、紀元前十三世紀のエジプトの碑文にはじめて登場する。文明が交錯する東地中海沿岸部では、さまざまな民族が興亡してきた。そのなかで、イスラエル(ユダヤ)民族はバビロニア捕囚やローマ帝国による迫害など、民族流亡の危機を乗り越え、第二次世界大戦後に再び自らの国を持つに至った。本書は、民族の祖とされるアブラハムから中東戦争後の現在まで、コンパクトに語る通史である。
 

参考サイト

この時代の世界

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(この項おわり)
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