紀元前216年 - カンネーの戦い

第一次大戦まで破られることのなかった完璧な殲滅戦
ハンニバル
ハンニバル
紀元前216年8月、第二次ポエニ戦争において、ハンニバルが率いるカルタゴ軍が、イタリア半島東南部のカンネーの戦い(カンナエの戦い)において、2倍の兵力を有するローマの大軍を包囲・殲滅した。

カンネーの戦いでのハンニバルの勝利は、野戦での完璧な包囲戦に成功したことであった。この勝利は殲滅戦の手本として、ナポレオンやクラウゼヴィッツなどの戦術家が参考にしたほか、ドイツ帝国陸軍のシュリーフェン・プランや、日露戦争の奉天会戦の日本軍もこれを参考にしている。

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カンネーの戦い

イベリア半島のカルタゴ植民領、カルタゴ・ノヴァを本拠地としていたハンニバルは、急拡大しつつあったローマに脅威を感じ、地中海の覇権を奪われる前に前に叩くことを決意する。
紀元前218年、ハンニバルは軍勢を率い、アルプス越えという前代未聞の作戦を敢行。イタリア半島に殴り込みをかける。カルタゴ本国もローマには脅威を感じていたものの、ハンニバル軍へ海路で兵站線を確保することは困難だった。
ハンニバル軍は自力で兵站を維持し、トレビア川の戦い、トラシメヌス湖畔の戦いに勝利し、ローマ軍に甚大な被害を与えた。

危機を察知したローマは、ファビウス・マクシムスを独裁官として任命する。
ファビウスは持久戦の構えを見せ、兵站に弱点があるうえ、混成部隊で統率も怪しかったハンニバル軍の自滅を待った。
これに対し、ハンニバルはイタリア半島各地で略奪を繰り返した。兵糧の確保とローマへの信頼を低下させる一石二鳥の戦術であった。

しびれを切らしたローマは、慎重派のファビウスに代わり、積極攻勢を訴えるガイウス・テレンティウス・ウァロルキウス・アエミリウス・パウルスが執政官に任命し、8万の大軍隊を率いてハンニバル討伐に向かわせる。一方のハンニバル軍は、1万の騎兵と2万のケルト人、その他スペイン人の重装歩兵5千、リビア人やフェニキア人の重装歩兵7千という混成部隊。
両者は、ローマから400kmほど離れた南イタリア東海岸の原野、カンネーで会戦する。

ハンニバルは、テーベのエパミノンダスやアレクサンドロス大王のアルベラの戦いの斜線陣を採用し、ローマ軍主力を盆地に誘い込み、両側から騎兵で挟撃する方法でローマ軍を包囲することに成功、大勝した。
ローマ軍の死者は5万、それに対してハンニバル軍の戦死者は5千人。一度に5万以上の死者を出した戦闘は、第一次世界大戦までなかったという。

ザマの戦い

カンネーの戦いの後、ハンニバルは次々に勝利を挙げるが、ローマと同盟都市の結束は崩れなかった。ハンニバルは次第に、イタリア半島に封じ込められてゆく。

紀元前205年、スキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)が執政官に就任すると、ローマは攻勢に転じる。イベリア半島のカルタゴ領を制圧したスキピオは、カルタゴ本土へ侵攻すべく、紀元前204年、アフリカ遠征に出立する。
慌てたカルタゴは、ハンニバルを呼び戻し、スキピオと会談させる。会談は決裂し、紀元前202年10月、ザマの戦いが始まった。
この戦闘で、カルタゴ軍は約20,000名の死傷者を出し、15,000名が捕虜となった。ハンニバル自身はわずかな供回りとともに逃亡した。ローマ軍の完勝であった。

敗れたカルタゴはローマと講和条約を結び、海外領土および海軍力をほぼ喪失し、ローマの地中海における覇権が確立することとなった。

ローマ・シリア戦争

ハンニバルは祖国カルタゴに戻り、政治改革・経済改革に着手する。そして、不可能と考えられていたローマへの莫大な賠償金の返済をやり遂げた。
ところが、このことが逆に、ローマの反カルタゴ派を勢いづかせると同時に、カルタゴ国内には反ハンニバル派を台頭させることになってしまった。

ハンニバルはカルタゴを脱出し、セレウコス朝シリアのアンティオコス3世の許へ亡命した。

アンティオコス3世は、前代まで縮小傾向にあったシリア王国の領土を拡大し、東方はインドにまで遠征して大王の称号を得た。
ハンニバルの影響もあり、紀元前192年、ローマと戦争状態に突入する。ローマ・シリア戦争(アンティオコス戦争)の始まりである。
戦争は紀元前188年まで続き、シリアの敗北に終わる。

シリアを出たハンニバルは地中海諸国を転々とし、逃げられないと悟り、紀元前183年に毒を仰いで自殺した。ちょうど同じ頃、ローマ元老院の弾劾を受けた政界を退いていたスキピオもこの世を去っている。

参考書籍

表紙 ハンニバル 地中海世界の覇権をかけて
著者 長谷川 博隆
出版社 講談社
サイズ 文庫
発売日 2005年08月10日頃
価格 990円(税込)
ISBN 9784061597204
エブロ河を越えアルプスを越え、南イタリアの地カンナエでローマ軍団を打ち砕いたハンニバル。戦いに勝ちながら、最終的にローマという果実を刈り取らなかったのは何故なのかーー。地中海世界の覇権をかけて大国ローマを屈服寸前まで追いつめたカルタゴの勇将、アレクサンドロス・カエサル・ナポレオンに比肩する天才の戦略と悲劇的な生涯を描く。(講談社学術文庫) 大国ローマと戦ったカルタゴの英雄の生涯。地中海世界の覇権をかけて激突した古代ローマとカルタゴ。大国ローマを屈服寸前まで追いつめたカルタゴの将軍ハンニバルの天才的な戦略と悲劇的な生涯を描く。 1.カルタゴの栄光 2.獅子の子として 3.地中海世界の覇権をめざし 4.戦局の転換 5.敗戦に逆落とし 6.国家再建と再起への道
 
表紙 興亡の世界史 通商国家カルタゴ
著者 栗田 伸子/佐藤 育子
出版社 講談社
サイズ 文庫
発売日 2016年10月12日頃
価格 1,474円(税込)
ISBN 9784062923873
紀元前二千年紀、経済力と技術力を武器に、東地中海沿岸部に次々と国際商業都市を建設した、海洋の民フェニキア人。アルファベットの元となった「フェニキア文字」で知られる彼らは、オリエントの諸大国に脅かされながらもしたたかに生き抜き、北アフリカにカルタゴを建国、地中海の覇者となる。最後の敵・ローマとの三次に及ぶポエニ戦争、ハンニバルの活躍、スキピオ軍の破壊の末に滅亡した帝国カルタゴは、何を歴史に残したか。 講談社創業100周年記念企画として刊行された全集「興亡の世界史」の学術文庫版。大好評、第2期の2冊目。  紀元前二千年紀、現在のレバノンの地に出現し、経済力と技術力を武器に、東地中海沿岸部に次々と国際商業都市を建設した、海洋の民フェニキア人。のちのアルファベットのもととなった「フェニキア文字」で知られる彼らは、アッシリアやアケメネス朝ペルシアなどオリエントの諸大国に脅かされながらも千数百年をしたたかに生き抜き、一部は北アフリカにカルタゴを建国、イベリア半島までおよぶ地中海の覇者として君臨するが、やがて彼らの前に、強大化した最後の敵・ローマが立ちはだかる。  三次にわたるポエニ戦争、ハンニバルの活躍、スキピオ率いるローマ軍による破壊のすえに滅亡した帝国カルタゴは、地中海世界に何を残したか。古代地中海史の「失われた半分」の復元に挑む、日本人研究者による、初めての本格的フェニキア・カルタゴ通史。  原本:『興亡の世界史 第03巻 通商国家カルタゴ』講談社 2009年刊 学術文庫版へのまえがき プロローグーー地中海史の中のカルタゴ 第一章 フェニキアの胎動 第二章 本土フェニキアの歴史 第三章 フェニキア人の西方展開 第四章 カルタゴ海上「帝国」 第五章 上陸した「帝国」 第六章 カルタゴの宗教と社会 第七章 対ローマ戦への道 第八章 ハンニバル戦争 第九章 フェニキアの海の終わり エピローグ 学術文庫版のあとがきにかえて 参考文献 年表 人名・著作家名一覧 索引
 

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