
秦を打倒するために立ち上がった劉邦は、紀元前206年10月にが首都・咸陽(関中)に入城した。同じく秦打倒のために立ち上がった項羽、少し遅れて12月に咸陽に入城。劉邦と項羽の会合「鴻門の会」がはじまる。
このとき、劉邦は項羽に殺されそうになり、かろうじて脱出。
項羽は秦王を殺害し、咸陽に火を放った。こうして秦は滅びる。
項羽は秦王を殺害し、咸陽に火を放った。こうして秦は滅びる。
楚漢戦争
垓下の戦い

漢軍(劉邦軍)は彭城の戦いで大敗するが、兵を立て直し、紀元前202年12月、ついに西楚軍(項羽軍)を追い詰める。
このとき、漢軍60万に対し西楚軍は10万。大平原で漢軍に取り囲まれた西楚軍は、故郷の西楚を歌った。これが四面楚歌の由来である。
項羽は包囲網を突破するも、追い詰められ自害。31歳だった。

その2ヶ月後、劉邦が皇帝となり、漢王朝(前漢)を開いた。
劉邦は農民の出身で、寛大で太っ腹。酒と女をこよなく愛したと伝えられている。中国史上、農民出身で皇帝となった者は、劉邦と、明の太祖・朱元璋の2人だけである。
このとき、漢軍60万に対し西楚軍は10万。大平原で漢軍に取り囲まれた西楚軍は、故郷の西楚を歌った。これが四面楚歌の由来である。
項羽は包囲網を突破するも、追い詰められ自害。31歳だった。

その2ヶ月後、劉邦が皇帝となり、漢王朝(前漢)を開いた。
劉邦は農民の出身で、寛大で太っ腹。酒と女をこよなく愛したと伝えられている。中国史上、農民出身で皇帝となった者は、劉邦と、明の太祖・朱元璋の2人だけである。
垓下(安徽省蚌埠市固鎮県)付近の地図
参考書籍
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項羽と劉邦(上巻)改版 | ||
著者 | 司馬 遼太郎 | ||
出版社 | 新潮社 | ||
サイズ | 文庫 | ||
発売日 | 2005年06月 | ||
価格 | 990円(税込) | ||
ISBN | 9784101152318 | ||
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項羽と劉邦(中巻)改版 | ||
著者 | 司馬 遼太郎 | ||
出版社 | 新潮社 | ||
サイズ | 文庫 | ||
発売日 | 2005年07月 | ||
価格 | 935円(税込) | ||
ISBN | 9784101152325 | ||
叔父・項梁の戦死後、反乱軍の全権を握った項羽は、鉅鹿の戦いで章邯将軍の率いる秦の主力軍を破った。一方、別働隊の劉邦は、そのすきに先んじて関中に入り函谷関を閉ざしてしまう。これに激怒した項羽は、一気に関中になだれこみ、劉邦を鴻門に呼びつけて殺そうとするが…。勇猛無比で行く所敵なしの項羽。戦べただがその仁徳で将に恵まれた劉邦。いずれが天下を制するか。 | |||
![]() |
項羽と劉邦(下巻)改版 | ||
著者 | 司馬 遼太郎 | ||
出版社 | 新潮社 | ||
サイズ | 文庫 | ||
発売日 | 2005年08月 | ||
価格 | 880円(税込) | ||
ISBN | 9784101152332 | ||
楚漢の天下争いは勝負がつかない。圧倒的な項羽軍の前に、穀倉のある山にのぼってこれと対峙する劉邦軍。やがて和議成って故郷に帰る項羽軍を劉邦は追撃し垓下に囲む。ある夜、包囲軍の中から楚の国の歌が湧き上がるのを聞いた項羽は、楚人はことごとく漢に降伏したかと嘆き、天が我を滅ぼしたことを知る。あらゆる人物の典型を描出しながら、絢爛たる史記の世界を甦らせた歴史大作。 | |||
この時代の世界
(この項おわり)