
政は韓非(法家)の影響を強く受けており、実力主義をとった。また、治水・灌漑事業に力を入れ、秦を強国へと成長させた。
紀元前232年、北の国境を接する趙に大軍を送り込んで支配下におさめる。
紀元前230年、隣国の韓を攻め滅ぼす。
紀元前223年、楚を滅ぼす。
紀元前221年、斉を滅ぼし中国の皇帝となる。
紀元前232年、北の国境を接する趙に大軍を送り込んで支配下におさめる。
紀元前230年、隣国の韓を攻め滅ぼす。
紀元前223年、楚を滅ぼす。
紀元前221年、斉を滅ぼし中国の皇帝となる。
秦朝内部では、法吏と呼ばれる官僚、徐福ら医学・薬学を通じて不老不死の研究をする方士、孔子の学者である儒生の三者が権力を競っていた。
紀元前213年、権力闘争が表面化する。まず、法吏は儒生を生き埋めにして政治力を奪うという坑儒を行う。つづいて法吏は、なかなか不老不死の薬を完成できないでいる方士の研究所を焼き捨てるという焚書を行う。
こうした法吏の専横を諫言した始皇帝の長男・扶蘚は追放される。

紀元前210年7月、始皇帝が没する。始皇帝陵で葬儀を取り仕切ったのは末子の胡亥だった。
やがて各地で秦に対する反乱が起き、紀元前206年12月、咸陽の宮殿に火が放たれ、ついに秦は滅亡する。

反乱軍のリーダーの一人、劉邦によって、紀元前202年、漢王朝(前漢)前漢が成立する。
紀元前213年、権力闘争が表面化する。まず、法吏は儒生を生き埋めにして政治力を奪うという坑儒を行う。つづいて法吏は、なかなか不老不死の薬を完成できないでいる方士の研究所を焼き捨てるという焚書を行う。
こうした法吏の専横を諫言した始皇帝の長男・扶蘚は追放される。

紀元前210年7月、始皇帝が没する。始皇帝陵で葬儀を取り仕切ったのは末子の胡亥だった。
やがて各地で秦に対する反乱が起き、紀元前206年12月、咸陽の宮殿に火が放たれ、ついに秦は滅亡する。

反乱軍のリーダーの一人、劉邦によって、紀元前202年、漢王朝(前漢)前漢が成立する。
参考書籍
この時代の世界
(この項おわり)
春秋戦国時代末期の紀元前259年、政が生まれる。
紀元前247年、政は13歳で秦王に即位する。当時、政治を仕切っていたのは宰相・呂不緯(政の実父と言われる)であった。政は自ら政治を行うべく、呂不緯を罷免し、服毒自殺に追い込んだ。