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リーダーのための歴史に学ぶ決断の技術 | ||
著者 | 松崎哲久 | ||
出版社 | 朝日新聞出版 | ||
サイズ | 新書 |
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発売日 | 2014年02月 | ||
価格 | 858円(税込) | ||
ISBN | 9784022735508 |
不遇が強運を生むのか、強運の持主だから不遇を乗りこえられたのか。因果関係は必ずしも明らかでない。(96ページ)
概要

勝海舟
著者は、元衆議院議員で歴史小説家でもある松崎哲久さん。
歴史に「もし」はない、とよく言われるが、現代を生きる者としては、あえて「もし」を考察することで、自分の選ぶべき方向を決断できるのではないだろうか。
歴史に「もし」はない、とよく言われるが、現代を生きる者としては、あえて「もし」を考察することで、自分の選ぶべき方向を決断できるのではないだろうか。
レビュー
第1章は「負け戦に臨む」として、終戦処理を託された鈴木貫太郎内閣、幕府の軍艦奉行であり明治維新後も徳川家の復権に尽力した勝海舟を取り上げる。海軍大将だった鈴木貫太郎内閣が成立した丁度そのとき、戦艦大和は米軍機の攻撃を受けて轟沈する。これは偶然か、それとも政府のシナリオなのか。

松崎さんは、「時代を読む。それがリーダーの資質である」としながらも、「時代が読めても、世間が追いつかないこともある」(44ページ)と述べる。第2章では、時代に早すぎた改革を推し進めた田沼意次、阿部正弘といった老中を取り上げ、改革は失敗しても、次代の人材育成に成功している点に注目する。
さらに、平民宰相・田中角栄を取り上げ、「戦後デモクラシーの申し子」(65ページ)と評する。田中内閣は短命に終わるが、その政治スタイルはシステムとなり、自民党の長期政権を支えてゆく。
張作霖爆殺事件の真相を知った田中義一内閣や、満州事件の陰謀を知った若槻礼次郎内閣は、いずれも決断を下さず総辞職。わが国は、泥沼から抜け出せない状況へと突き進んでゆく。

第6章では、捨てる勇気がリーダーの条件として、大政奉還を実行し無位無冠となった徳川慶喜を取り上げる。明治政府に何もしなかった慶喜は、生前に公爵となり、徳川第16代家達は貴族院議長を30年にわたって務めた。
一方、三度の内閣で三度とも失敗した近衛文麿は、名門に生まれたプライドを捨てられなかった。

第7章では「引き際と責任」と題し、まず、ポツダム宣言受諾の御前会議を経て、軍部がクーデターを起こさぬよう周到な手続きを行った上で自決した阿南惟幾大将を取り上げる。戦時中は失敗を繰り返した大本営と内閣ではあるが、終戦時に粛々と撤退した姿は見事なものである。
石橋湛山首相は、風邪をこじらせて軽い脳梗塞を起こした。「私の政治的良心に従います」の名句を残し、わずか65日で退陣してしまう。潔い引き際であったが、後任の岸信介首相の時代から官僚支配が始まる。

第8章では、暗殺という形で幕引きをさせられたリーダーを取り上げる。織田信長については、「秀吉は信長の目指した構想の『後継者』ではない。似て非なる政権であった。それは秀吉が信長の構想を、真の意味で理解できなかったからに他ならない」(230ページ)と指摘し、第7章で秀吉の引き際の悪さを「このとき補佐役に人を得なかったことに起因する」(210ページ)と解説する。
明治維新後、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通という「維新の三傑」が1年のうちに相次いで没したことについて、松崎さんは「三傑の時を同じくした退場は、有司専制国家が立憲国家に変貌を遂げていくために必要条件だったかもしれないのである」(234ページ)と述べる。

松崎さんは、「時代を読む。それがリーダーの資質である」としながらも、「時代が読めても、世間が追いつかないこともある」(44ページ)と述べる。第2章では、時代に早すぎた改革を推し進めた田沼意次、阿部正弘といった老中を取り上げ、改革は失敗しても、次代の人材育成に成功している点に注目する。
さらに、平民宰相・田中角栄を取り上げ、「戦後デモクラシーの申し子」(65ページ)と評する。田中内閣は短命に終わるが、その政治スタイルはシステムとなり、自民党の長期政権を支えてゆく。
張作霖爆殺事件の真相を知った田中義一内閣や、満州事件の陰謀を知った若槻礼次郎内閣は、いずれも決断を下さず総辞職。わが国は、泥沼から抜け出せない状況へと突き進んでゆく。

第6章では、捨てる勇気がリーダーの条件として、大政奉還を実行し無位無冠となった徳川慶喜を取り上げる。明治政府に何もしなかった慶喜は、生前に公爵となり、徳川第16代家達は貴族院議長を30年にわたって務めた。
一方、三度の内閣で三度とも失敗した近衛文麿は、名門に生まれたプライドを捨てられなかった。

第7章では「引き際と責任」と題し、まず、ポツダム宣言受諾の御前会議を経て、軍部がクーデターを起こさぬよう周到な手続きを行った上で自決した阿南惟幾大将を取り上げる。戦時中は失敗を繰り返した大本営と内閣ではあるが、終戦時に粛々と撤退した姿は見事なものである。
石橋湛山首相は、風邪をこじらせて軽い脳梗塞を起こした。「私の政治的良心に従います」の名句を残し、わずか65日で退陣してしまう。潔い引き際であったが、後任の岸信介首相の時代から官僚支配が始まる。

第8章では、暗殺という形で幕引きをさせられたリーダーを取り上げる。織田信長については、「秀吉は信長の目指した構想の『後継者』ではない。似て非なる政権であった。それは秀吉が信長の構想を、真の意味で理解できなかったからに他ならない」(230ページ)と指摘し、第7章で秀吉の引き際の悪さを「このとき補佐役に人を得なかったことに起因する」(210ページ)と解説する。
明治維新後、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通という「維新の三傑」が1年のうちに相次いで没したことについて、松崎さんは「三傑の時を同じくした退場は、有司専制国家が立憲国家に変貌を遂げていくために必要条件だったかもしれないのである」(234ページ)と述べる。
(2018年10月1日 読了)
参考サイト
- リーダーのための歴史に学ぶ決断の技術:朝日新聞出版
- 松崎哲久(自由党)
- 『部下の哲学』(江口克彦,2003年03月)
- 『リーダーは95歳』(大久保隆弘,2006年11月)
- 『宇宙飛行士の育て方』(林公代,2010年10月)
(この項おわり)