『シュリーマンと八王子』――幕末の1ページ

伊藤貴雄=編
表紙 シュリーマンと八王子
著者 伊藤貴雄
出版社 第三文明社
サイズ 単行本
発売日 2022年12月20日頃
価格 1,650円(税込)
ISBN 9784476034103
シュリーマンも実際に「自分で見たこと以外は信じない」を終生基本姿勢としていた。(72ページ)

概要

ハインリヒ・シュリーマン
ハインリヒ・シュリーマン
ドイツ人ハインリヒ・シュリーマンは、子どもの頃に読んだホメロスの叙事詩『イーリアス』に登場する伝説のトロイア王国を探し、商売で荒稼ぎして発掘資金を貯め、多くの言語を習得し、41歳でビジネスから引退し、ついにトロイア遺跡を掘り当てた――その成功譚は伝記で読んだとおりだが、発掘の5年前の1865年、幕末の日本を訪れ、わずか4時間ではあるものの、八王子を訪れ、その様子を世界に初めて伝えた――という話は初めて知った。本書は、シュリーマンの生誕200周年を記念し、八王子にある創価大学文学部が立ち上げた「桑都プロジェクト」の副産物として誕生した書籍である。
鑓水の風景(横浜開港資料館所蔵)
鑓水の風景(横浜開港資料館所蔵)
シュリーマンは1865年から約2年間をかけて、4大陸、9カ国を旅し、500ページの日記を9カ国語で書いた。ジュール・ヴェルヌの有名な小説『八十日間世界一周』が書かれる8年前のことだ。そのなかの最初の作品『清国・日本』の中に八王子が登場する。
八王子へ向う道(横浜開港資料館所蔵)
八王子へ向う道(横浜開港資料館所蔵)
当時、ヨーロッパでは蚕の病気である微粒子病が流行し、生糸産業が大打撃を受けており、日本の生糸が珍重された。生糸、絹織物の生産地として八王子は世界に知られており、複数の欧米人が訪れていた。ある家では、現在の貨幣価値にして1日に450万円分の繭を購入したという記録が残っている。
当時、外国人の移動は横浜から約40km圏内に制限されていたが、八王子はぎりぎり圏内にあった。
1865年(慶応元年)6月3日から7月4日まで日本に滞在していたシュリーマンは、そうした情報を知り、6月18日(旧暦5月25日)から20日まで、横浜から八王子へ2泊3日の往復旅行に出かけた。
シュリーマンの旅行記の書き出しは、「わたしが横浜滞在中におこなった数々の遊覧のうちで、最も興味深かったものの一つは、わたしが6人のイギリス人の仲間たちと企てた、絹織物の産地として産業の盛んな町、八王子 Hogiogi にむけてのものであった」(88ページ)となっている。
トロイア戦争
トロイア戦争
本書は、シュリーマンについて、さらに深掘りしている。
主著『古代への情熱』は、私も読んだことがあるし、これをベースにした伝記では、貧しく学校にも通わず丁稚奉公に出されたが、『イーリアス』に登場するトロイア王国発掘を夢見て、勉強して十数カ国を操れるようになり、発掘資金を貯めるために商売で大成功したという成功物語となっている。
トロイア遺跡
トロイア遺跡
シュリーマンが実践した徹底的な音読による言語習得は独創的で効果のある方法だが、クリミア戦争ではロシアに武器を密輸したり、アメリカ南北戦争では奴隷解放で綿花栽培が困難になることを見越して綿花を買い占めるなど、現代ならコンプライアンス違反になるだろう方法で稼ぎを上げることをした。また、『古代への情熱』などの著書には脚色が多いこと、遺跡の発掘は乱暴で他の遺跡を壊してしまうなどの影の側面もある。
ウィリアム・グラッドストン
ウィリアム・グラッドストン
高等教育を受けていなかったシュリーマンは、アマチュア考古学者だった。
ウィリアム・グラッドストンは、のべ12年4ヶ月にわたってイギリスの首相を務めた有力政治家だが、彼はアマチュアのホメロス研究者だった。シュリーマンはグラッドストンに接触し、自著の序文をグラッドストンに書いてもらった。
熱心なクリスチャンであり、現実主義者だったグラッドストンは、聖書やギリシア神話の内容が創作であるとする学界の高等批評へ一矢を報いるべく、シュリーマンの発掘成果の受け入れたのだろう。
シュリーまん
シュリーまん
本書による講義は、私たちがアマチュアなりの誇りと楽しみを忘れずに、知に対して誠実に向き合い、知への愛を持つこと、知識を吸収しつつ、その楽しさに溺れず誠実さを保つというのは、文化の発展にとって大きな意味のあることなのではないか――と結ばれる。(176ページ)
都まんじゅう(つるや製菓)
都まんじゅう(つるや製菓)
さて、生糸、絹織物の生産地である八王子を「桑都」とした創価大学の「桑都プロジェクト」は、文系大学が街興しに協力する実験的なプロジェクトとしてスタートし、八王子出身の人気グループ・ファンキーモンキーベイビーズの歌にも登場する都まんじゅう(つるや製菓)をベースにした「シュリーまん」を製作・販売したり、くまざわ書店東京富士美術館とコラボレーションして様々な企画を展開し、成功を収めた。

レビュー

遺跡・化石を発掘する人のイラスト
シュリーマンは、私にとってヒーローだ――ヒーローというのは「正義の味方」のことではない。専門家でも職業人でもない。自分の信念に従い、自分のために行動できる人のことだ。
シュリーマンがクリミア戦争や南北戦争で荒稼ぎしていたことは知っていたし、遺跡発掘の方法や土地の帰属を巡るトラブルを抱えていたこと、外国人労働者の賃金を出し渋ったことなど、悪いところを挙げればキリがない。それでも、学界に少しも遠慮せず、自分の金と才覚で行動したところが凄いと感じる。
ナイチンゲール
ナイチンゲール
シュリーマンは、クリミア戦争ではロシアに武器を流し、その武器で怪我をしたイギリス人を看護したナイチンゲールの地元、イギリスの大政治家グラッドストンと手を組んで、学界の膨大な英知を集めた高等批評を崩してしまうというのは、読んでいて気持ちがいい。
探検家・考古学者のイラスト
そのシュリーマンが、わずかな時間ではあるが、御殿峠から八王子の街を見下ろした様子を書き残した日記を読んで、150年以上の時を経て、自分の隣にシュリーマンがいるような感じがした。
というわけで、私にとってのシュリーマンは、「趣味でヒーローをやっている」という漫画『ワンパンマン』の主人公サイタマのようなイメージなのである。
(2023年2月10日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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