
プリアモスの財宝(プーシキン美術館)

ハインリヒ・シュリーマン
ハインリヒ・シュリーマンは、1822年1月6日、ドイツ北方のメクレンブルク=シュヴェリーン大公国で生まれる。父はプロテスタントの説教師で、9人兄弟の6番目の子どもだった。母はシュリーマンが9歳の時に亡くなった。古典に通じていた父の影響で、幼い頃から古代ギリシアの詩人ホメロスの作品を愛読し、『イーリアス』に登場するトロイア戦争の舞台となったトロイア王国の発掘を夢見た。
13歳でギムナジウムに入学するが、貧しかったために翌年退学し、雑貨商で丁稚として働き始める。
1841年にベネズエラに移住を試みるも船が難破し、オランダ領の島に流れ着き、オランダの貿易商社に就職することになった。1846年にサンクトペテルブルクに商社を設立して独立、翌年にはロシア国籍を取得した。1852年に露西亜女性と結婚する。
13歳でギムナジウムに入学するが、貧しかったために翌年退学し、雑貨商で丁稚として働き始める。
1841年にベネズエラに移住を試みるも船が難破し、オランダ領の島に流れ着き、オランダの貿易商社に就職することになった。1846年にサンクトペテルブルクに商社を設立して独立、翌年にはロシア国籍を取得した。1852年に露西亜女性と結婚する。

ナイチンゲール

鑓水の風景(横浜開港資料館所蔵)

トロイ遺跡(世界遺産)
世界旅行を終えたシュリーマンは、1868年にギリシアのイタカ島で初めての遺跡発掘に挑戦する。事業で貯めた資産を惜しげもなく発掘に投入した。
1870年、シュリーマンは、オスマン帝国のチャナッカレの南20kmの地点にあるヒッサリクの丘をホメロスの叙事詩『イーリアス』で歌われているトロイア王国があった場所と確信し、無許可で発掘に着手。
1870年、シュリーマンは、オスマン帝国のチャナッカレの南20kmの地点にあるヒッサリクの丘をホメロスの叙事詩『イーリアス』で歌われているトロイア王国があった場所と確信し、無許可で発掘に着手。

トロイ遺跡(世界遺産)
強引な手法で丘を掘り進め、1873年5月31日に、盾、平らな大釜、銅の短剣と槍の先や水差し、銀の花瓶が3つとナイフの刃、フラスコ、ゴブレット、小さな金の鍋が2つ出土した。最も大きな出土品の銀の花瓶の中には、ティアラが2つ、細いヘッドバンド、ペンダントが4つ、ブレスレットが6つ、イヤリングは56個、そして小さなボタン8,750個と指輪を含む金の装飾品が入っていた。シュリーマンは、これらがプリアモス王時代のものと断定した。
6月17日、シュリーマンはギリシアへ出土品を運び出したが、オスマン帝国はこれを密輸として彼を訴えた。その後の紆余曲折があり、シュリーマンはドイツのベルリン人類学・民族学・先史学協会の会員になり、ベルリン名誉市民になることと引き換えに、プリアモスの財宝はベルリン国立民族学博物館に収蔵されることになった。
6月17日、シュリーマンはギリシアへ出土品を運び出したが、オスマン帝国はこれを密輸として彼を訴えた。その後の紆余曲折があり、シュリーマンはドイツのベルリン人類学・民族学・先史学協会の会員になり、ベルリン名誉市民になることと引き換えに、プリアモスの財宝はベルリン国立民族学博物館に収蔵されることになった。

トウィリアム・グラッドストン
高等教育を受けていなかったシュリーマンは、アマチュア考古学者だった。
ウィリアム・グラッドストンは、のべ12年4ヶ月にわたってイギリスの首相を務めた有力政治家だが、彼はアマチュアのホメロス研究者だった。シュリーマンはグラッドストンに接触し、自著の序文をグラッドストンに書いてもらった。
熱心なクリスチャンであり、現実主義者だったグラッドストンは、聖書やギリシア神話の内容が創作であるとする学界の高等批評へ一矢を報いるべく、シュリーマンの発掘成果の受け入れたのだろう。
ウィリアム・グラッドストンは、のべ12年4ヶ月にわたってイギリスの首相を務めた有力政治家だが、彼はアマチュアのホメロス研究者だった。シュリーマンはグラッドストンに接触し、自著の序文をグラッドストンに書いてもらった。
熱心なクリスチャンであり、現実主義者だったグラッドストンは、聖書やギリシア神話の内容が創作であるとする学界の高等批評へ一矢を報いるべく、シュリーマンの発掘成果の受け入れたのだろう。

アガメムノンのマスク
1876年にはミケーネ発掘に乗り出し、アガメムノンのマスクを発掘する。
シュリーマンは伝説上のギリシアの指導者アガメムノーンの死体を発見したと信じていたが、現代の研究によれば、アガメムノンの活動期より早いことを示唆している。
シュリーマンは伝説上のギリシアの指導者アガメムノーンの死体を発見したと信じていたが、現代の研究によれば、アガメムノンの活動期より早いことを示唆している。
シュリーマンは、ビジネスマンとしての経験を活かし、既成の概念や手法に囚われない大胆な手法で、次々に遺跡を発掘していき、古代ギリシア文明以前にきわめて高度な文明がエーゲ海周辺に存在していたことが明らかにしていった。
その反面、トラブルも絶えなかった。強引な発掘手法により他の遺跡を傷つけたり、発掘品の管理を考えていなかったために、プリアモスの財宝をめぐってドイツとソ連という国家間の争いに発展した。また、自伝や発掘記録に脚色が多かった。
老練な政治家グラッドストンは、無条件でシュリーマンを受け容れたわけではなかった。グラッドストンは、シュリーマンの先入観にとらわれない自由な発想と、孤立無援でも自らの姿勢を貫く強い信念と情熱があったことを評価したのだった。
その反面、トラブルも絶えなかった。強引な発掘手法により他の遺跡を傷つけたり、発掘品の管理を考えていなかったために、プリアモスの財宝をめぐってドイツとソ連という国家間の争いに発展した。また、自伝や発掘記録に脚色が多かった。
老練な政治家グラッドストンは、無条件でシュリーマンを受け容れたわけではなかった。グラッドストンは、シュリーマンの先入観にとらわれない自由な発想と、孤立無援でも自らの姿勢を貫く強い信念と情熱があったことを評価したのだった。
参考書籍
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シュリーマンと八王子 | ||
著者 | 伊藤貴雄 | ||
出版社 | 第三文明社 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 2022年12月20日頃 | ||
価格 | 1,650円(税込) | ||
ISBN | 9784476034103 | ||
トロイアの遺跡を発見したシュリーマンは、なんと東京・八王子の魅力を世界に紹介していた! シュリーマンを知りたい人、八王子を愛する人に贈る一書。シュリーマンの生涯と語学学習法を紹介するとともに、シュリーマンの直筆日記から八王子訪問の記録を本邦初全訳。幕末の八王子の絹産業を解説し、「シュリーマンで八王子まちおこし──桑都プロジェクト」の取り組みも公開する。《推薦・読売新聞特別編集委員 橋本五郎》「本書は(シュリーマン著)『清国・日本』の描く八王子を紹介してくれているだけではありません。その元となった詳細・膨大なシュリーマンの日記を本邦初訳で、シュリーマンから見た八王子を再現しているのです。幕末から明治にかけて、生糸は国の近代化を支える重要な産業であり、八王子はその集散地で輸出拠点だったこともわかります。」 推奨 偉大なロマンティスト大全 橋本五郎 はじめに 新たなシュリーマン像を求めて 伊藤貴雄 世界市民的見地から見たシュリーマン 遠山義孝 シュリーマンと幕末・八王子の絹産業 神立孝一 シュリーマンは八王子で何を見たか 伊藤貴雄 時に大胆に、そして常に誠実であれ──シュリーマンとグラッドストン 堤林剣・堤林恵 シュリーマンで「まちおこし」──桑都プロジェクト 付録・シュリーマン生誕200周年記念「学生選書」 コラム 八王子学の可能性 杉山由紀男 おわりに | |||
![]() |
古代への情熱 シュリーマン自伝 | ||
著者 | シュリーマン | ||
出版社 | 新潮社 | ||
サイズ | 文庫 | ||
発売日 | 1977年09月01日頃 | ||
価格 | 693円(税込) | ||
ISBN | 9784102079010 | ||
トロイア戦争は実際にあった事に違いない。トロイアの都は、今は地中に埋もれているのだ。-少年時代にいだいた夢と信念を実現するために、シュリーマンは、まず財産作りに専念し、ついで驚異的な語学力によって十数ヵ国語を身につける。そして、当時は空想上の産物とされていたホメーロスの事跡を次々と発掘してゆく。考古学史上、最も劇的な成功を遂げた男の波瀾の生涯の記録。 | |||
![]() |
『イーリアス』ギリシア英雄叙事詩の世界 | ||
著者 | 川島 重成 | ||
出版社 | 岩波書店 | ||
サイズ | 全集・双書 | ||
発売日 | 2014年10月15日頃 | ||
価格 | 2,640円(税込) | ||
ISBN | 9784000287876 | ||
悲惨の中にあってもなお輝く人間の気高さを、深い共感とともに描いた『イーリアス』。西洋文学史に屹立するこの叙事詩を味読し、その尽きせぬ魅力に迫る。さらに著者の年来の研究にもとづき、口誦詩としての意義を明らかにしつつ、ギリシア古典文化のホメーロス的特質を論じる。 | |||
![]() |
シュリーマン旅行記 清国・日本 | ||
著者 | ハインリッヒ・シュリーマン/石井 和子 | ||
出版社 | 講談社 | ||
サイズ | 文庫 | ||
発売日 | 1998年04月 | ||
価格 | 1,100円(税込) | ||
ISBN | 9784061593251 | ||
トロイア遺跡の発掘で知られるハインリッヒ・シュリーマン。彼はその発掘に先立つ6年前、世界旅行の途中、中国につづいて幕末の日本を訪れている。3ヵ月という短期間の滞在にもかかわらず、江戸を中心とした当時の日本の様子を、なんの偏見にも捉われず、清新かつ客観的に観察した。執拗なまでの探究心と旺盛な情熱で、転換期日本の実像を生き生きと活写したシュリーマンの興味つきない見聞記。 これまで方々の国でいろいろな旅行者にであったが、彼らはみな感激した面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。──(第4章 江戸上陸より) | |||
この時代の世界
(この項おわり)
シュリーマンは、オスマン帝国内のヒッサリクの丘をホメロスの叙事詩『イーリアス』で歌われているトロイア王国があった場所と確信し、発掘に着手。強引な手法で丘を掘り進め、多くの財宝を発掘、これらがプリアモス王時代のものと断定した。