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住田は、戦時中、インドネシア・スマトラ島の戦線に従軍していたが、帰国後、弟と妹を広島原爆で失った。住田は、原爆で命をなくした多くの子どもたちを供養するため、1992年(平成4年)1月、お好み村入口に新天地地蔵尊を建立した。お好み焼きの裏に歴史の重みを感じる話である。その年の11月、住田は71歳の生涯を終えた。

広島風お好み焼きは、鉄板の上でコテを使って食べるわけだが、果敢にもこぱふぅが挑戦した。隣に座っていた、地元の体育会系クラブと思われる若者たちは、コテだけで器用に食べていた。広島人は、若いときから鍛えられているのだろうか?

広島風お好み焼きは、鉄板の上でコテを使って食べるわけだが、果敢にもこぱふぅが挑戦した。隣に座っていた、地元の体育会系クラブと思われる若者たちは、コテだけで器用に食べていた。広島人は、若いときから鍛えられているのだろうか?
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(この項おわり)
お好み村は、広島風お好み焼きのフードテーマパークということになっているが、新横浜ラーメン博物館のような本格的なフードテーマパークなどとは比べものにならない時代から存在しており、実際、お好み屋が入っている雑居ビルという感じである。
戦後まもなく、中央通りに発生した屋台群がお好み村のルーツだとされている。その後、1965年(昭和40年)に公園として整備される際、移転先が見つからなかった14店がお好み村を構成することになる。発案者は、ちいちゃんの古田正三郎と地元の食品卸問屋住田の住田一也であった。初代村長となった古田の銅像がフロアの片隅に鎮座している。
現在のビル「新天地プラザ」は住田が建設し、1990年(平成2年)1月に完成した。2~4階がお好み村となっており、その他のフロアにはビッグエコーや居酒屋が入っている。