


写真の南円堂は 813 年(弘仁 4 年)、藤原冬嗣が創建した八角堂で、1789 年(天明 9 年)に再建された。国の重要文化財に指定されている。
西国三十三所の九番札所であるが、堂の扉は 1 年に一度、10 月 17 日の大般若経転読会の時しか開かれない。
西国三十三所の九番札所であるが、堂の扉は 1 年に一度、10 月 17 日の大般若経転読会の時しか開かれない。
藤原氏と仏教
日本に仏教が伝来した頃、蘇我氏は仏教を積極的に受け入れたが、軍事を担う物部氏と、神祇に関わる中臣氏は反対派だった。ところが物部氏は蘇我氏に滅ぼされ、その蘇我氏も中大兄皇子と結んだ中臣鎌足によって滅ぼされると(大化の改新)、中臣氏は仏教の保護者となった。

一説によると、中臣鎌足は中臣氏の直系ではなく、傍系あるいは養子と言われている。鎌足は息子の定恵を僧侶にして、中国に留学させた。
その後、中臣氏は藤原氏となり、神祇と仏教をうまくバランスさせることで、日本の政治を操った。ここから神仏習合が始まったとも言える。

一説によると、中臣鎌足は中臣氏の直系ではなく、傍系あるいは養子と言われている。鎌足は息子の定恵を僧侶にして、中国に留学させた。
その後、中臣氏は藤原氏となり、神祇と仏教をうまくバランスさせることで、日本の政治を操った。ここから神仏習合が始まったとも言える。
興福寺の興隆
興福寺は藤原北家との関係が深く、平安時代に入ると氏社である春日社一体だと主張して春日社の実権を握った。そして大和国の荘園の大部分を所領し、事実上の大和国国主となった。
鎌倉・室町時代に入っても大和武士や僧兵を擁する兵力のため、幕府は守護を置くことができなかった。

江戸時代末期の 1868 年(慶応 4 年)の神仏分離令により、春日社と一体の信仰が行われていた興福寺は大きな打撃をこうむった。境内の塀は取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となった。
一時は廃寺同然となり五重塔も売りに出されたが、観光客の誘致に有利なことから、かろうじて残された。
1881 年(明治 14 年)、ようやく再建が許可され、1897 年(明治 30 年)から修理が始まった。1998 年(平成 10 年)、世界遺産に登録された。
鎌倉・室町時代に入っても大和武士や僧兵を擁する兵力のため、幕府は守護を置くことができなかった。

江戸時代末期の 1868 年(慶応 4 年)の神仏分離令により、春日社と一体の信仰が行われていた興福寺は大きな打撃をこうむった。境内の塀は取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となった。
一時は廃寺同然となり五重塔も売りに出されたが、観光客の誘致に有利なことから、かろうじて残された。
1881 年(明治 14 年)、ようやく再建が許可され、1897 年(明治 30 年)から修理が始まった。1998 年(平成 10 年)、世界遺産に登録された。
交通アクセス
【鉄道】

- 近鉄「奈良駅」東改札
- JR奈良駅よりバス「奈良交通市内循環系統」に乗り5分

近隣の情報
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(この項おわり)
写真手前は東金堂、奥は有名な五重塔だ。