紀元前333年 - イッソスの戦い

アレクサンダー大王の世界帝国の足がかり
イッソスの戦い
イッソスの戦い(ナポリ博物館,モザイク壁画)
紀元前 333 年 11 月、マケドニア王国のアレクサンドロス 3 世(アレクサンダー大王)とアケメネス朝ペルシアのダレイオス 3 世が衝突し、イッソスの戦いが勃発する。アレクサンドロス 3 世は巧みな用兵で大勝利を収める。
アレクサンドロス 3 世は、父王フィリッポス 2 世が率いるマケドニア軍の将として、紀元前 338 年、カイロネイアの戦いでアテネ・テーベ連合軍を破った。
紀元前 336 年に暗殺された父王の後を継ぎ、弱冠 20 歳で即位すると、たちまちマケドニア王国を掌握し、テーベを破壊した。
紀元前 334 年、父王の悲願であったペルシア遠征に出征。小アジアでは、自ら投げ槍で敵将ミトリダテスを仕留め、味方将兵の信頼を勝ち取るとともに、敵に対して恐怖心を植え付けた。

紀元前 333 年 11 月、トルコのイスケンデルン湾沿岸にあるイッソス平原で、ダレイオス 3 世が率いるペルシや軍と衝突し、イッソスの戦いが始まる。
ペルシア軍10 万人に対し、マケドニア軍は 3 万人と圧倒的劣勢であったが、アレクサンドロス 3 世が敵戦線に裂け目を作る巧みな用兵で 5 万の屍を築き上げ、ダレイオス 3 世は敗走した。

紀元前 331 年 10 月、アレクサンドロス 3 世はガウガメラの戦いでもダレイオス 3 世に勝利し、その勢いでバビロンに入城。大王を名乗った。
一方のダレイオス 3 世は東部へ逃れたが暗殺され、紀元前 33 年、アケメネス朝ペルシアは滅亡する。

大王はさらに東征を続け、インドの西側までを支配地域とした。東西4500km にも及ぶ世界帝国の出現により、東西文化の交流や民族の融合が盛んになり、ヘレニズム時代が到来した。

紀元前 323 年、大王はバビロンに戻り、西征を計画したが、熱病にかかり、6 月に死去した。32 歳という若さだった。
大王は後継者を指名せず「最強の者が帝国を継承せよ」と遺言したため、後継者争いが起きた。
紀元前 3 世紀、アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトのヘレニズム 3王国に分裂し、互いに争ったが、紀元前 2 世紀にローマに併合されていった。
-450 -425 -400 -375 -350 -325 -300 -333 イッソスの戦い -356 -323 アレクサンドロス3世 -380 -330 ダレイオス3世 -338 カイロネイアの戦い -382 -336 フィリッポス2世 -384 -322 デモステネス -431 -404 ペロポネソス戦争 -428 -409 プレイストアナクス -427 -347 プラトン -384 -322 アリストテレス Tooltip

付近の地図

(この項おわり)
header