紀元前431年 - ペロポネソス戦争はじまる

アテネがスパルタに降伏
ペロポネソス戦争
アテネを中心とし帝国主義をとるデロス同盟が、スパルタを中心とし自主独立を重んじるペロポネソス同盟が、紀元前 431 年にアッティカで衝突し、ペロポネソス戦争が勃発する。途中休戦があったものの、紀元前 404 年にアテネは降伏し、戦争は終結した。
j-500-sa.shtm:title=ペルシア戦争]は、サラミスの海戦(紀元前 480 年)と、それに続くプラタイアの戦い(紀元前 479 年)でアケメネス朝ペルシアが敗退したことにより、ギリシアには一時的な平穏が訪れた。

ペルシア帝国を撃退したアテネは、紀元前 478 年、ポリス間の軍事同盟であるデロス同盟を結成し、軍事力を拡大した。その結果、皮肉なことに、イオニアに隷属を強いたペルシア帝国と同様、ポリスの自治権を奪っていくことになる。
スパルタを盟主とするペロポネソス同盟は自治独立を重んじ、デロス同盟との対立することになる。

紀元前 431 年、スパルタ王アルキダモス 2 世はペロポネソス同盟軍を率いてアッティカへ侵攻する。対するデロス同盟は、ペリクレスの提案によって籠城戦をとり、紀元前 425 年にスパルタ兵を退けた。
アテネの好戦的な指導者クレオンと、スパルタの主戦派である将軍ブラシダスが没すると、紀元前 421 年、アテナイの将軍ニキアスとスパルタ王プレイストアナクスの間にニキアスの和約が交わされた。しかし、ペロポネソス戦争の火種は燻っていた。
紀元前 415 年に戦争は再開されたが、アテネ軍は無理な遠征が祟り、デロス同盟から離反するポリスが相次いだ。
紀元前 404 年、ついにペロポネソス同盟はアテネ市を包囲する。アテネは降伏し、ペロポネソス戦争は終結した。

戦後、アテネでは共和制が崩壊し、スパルタ人が三十人政権による恐怖政治を行うが、間もなく共和制勢力が政権を奪還する。
ペロポネソス戦争の敗因となったアルキビアデスや、三十人政権のクリティアスらを弟子とするソクラテスが公開裁判にかけられ、紀元前 399 年に刑死する。
-525 -475 -425 -375 -325 -431 -404 ペロポネソス戦争 -495 -429 ペリクレス -524 -455 テミストクレス -500 -427 アルキダモス2世 -500 -422 クレオン -500 -422 ブラシダス -470 -413 ニキアス -469 -399 ソクラテス -428 -409 プレイストアナクス -427 -347 プラトン -382 -336 フィリッポス2世 -338 カイロネイアの戦い -333 イッソスの戦い -500 -449 ペルシア戦争 -479 サラミスの海戦 -519 -465 クセルクス1世 Tooltip
(この項おわり)
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