高野山 奥之院

2014年8月13日 撮影
高野山 奥之院
ぱふぅ家は真言宗であるが、その創始者で今も生きているとされる弘法大師空海に会うために高野山 奥之院(和歌山県伊都郡高野町高野山 550)へ向かった。
一の橋入口から御廟まで 2km にわたり、杉の巨木に覆われている。

最深部には、空海が今も瞑想されている御廟があり、信者が供えた無数の灯明がゆらめく。空海は 62 歳の時に座禅を組み、永遠の悟りの世界に入ったとされ、今でも生きているので、入寂 (にゅうじゃく) 寂滅 (じゃくめつ) と呼ばずに入定 (にゅうじょう) と呼んでいる。
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高野山 奥之院
南海鋼索線「高野山駅」を降りて、バスに乗ると、間もなく高野山の入口に差しかかる。奥之院までは、さらに 25 分かかる。
一の橋入口 - 高野山 奥之院
一の橋入口の「はちよう」で昼食をとる。
近くに駐車場もあり、観光客でごった返していた。
こうやくん - 高野山 奥之院
こうやくんは、高野山開創 1200 年(正治 2 年)記念大法要のマスコットキャラクターだ。誕生日は 2009 年(平成 21 年)3 月 21 日。

2014 年(平成 26 年)8 月、高野町観光・広報大使に任命され、高野町に住民登録している。
新明和工業株式会社の慰霊碑 - 高野山 奥之院
参道両脇は数十万基と言われる墓石で埋まっており、歴史上有名な人物の墓やユニークな墓が多い。

こちらは機械メーカー「新明和工業株式会社」の物故者慰霊碑だが、ロケットの形をしている。
戦前は川西財閥傘下の航空機製造会社「川西航空機」で、当時世界最大の四発軍用飛行艇二式大艇や局地戦闘機紫電/紫電改を開発製造したメーカーでもある。
しろあり供養塔 - 高野山 奥之院
新明和工業株式会社の慰霊碑の対面には、公益社団法人 日本しろあり対策協会しろあり供養塔がある。

駆除されたシロアリと、防除に携わってきた功労者が合祀されているという。狩る者と狩られる者、あの世ではどんな話をしているのだろうか。
福助 - 高野山 奥之院
こちらは、福助株式会社の福助が鎮座する慰霊碑。
ヤクルト - 高野山 奥之院
株式会社ヤクルト本社は、そのものずばりの慰霊碑である。乳酸菌シロタ株を弔っているのかと思ったら、会社に貢献のあった 4 千人以上に及ぶ物故者の慰霊碑という。毎年慰霊祭が行われている。
上島珈琲店 - 高野山 奥之院
上島珈琲店は、コーヒーカップの形をした慰霊碑だ。

このように、わが国のサラリーマンは、死してなお供養という形で企業の福利厚生を受けることができると言える。実際、毎年慰霊祭が営まれ、現役社員が墓を清掃し、経営者が弔辞を読み上げる。
株式市場に上場するだけでなく、こうした十二分な福利厚生サービスができるようになることもまた、企業のステータスではないだろうか。
参道をさらに進むと杉の巨木に囲まれて陽が差し込まず、苔むした墓石が多くなる。ここからは歴史上の有名人の墓が多い。
生前は不倶戴天の敵同士であっても、思想信条が違っていようとも、すべてを包み込む真言密教の包摂 (ほうせつ) の原理により、あの世では皆仲良く高野山で眠るのである。

弘法大師の教えは“五感に訴える”ことが根幹にある。まず目で見て、身体で感じて、心で思い、身体全体を使って宇宙の真理と一体化する。これを身口意 (しんくい) と呼ぶ。
大日如来の宇宙的な身口意と一体化することが究極の悟りで、それに向けて修行するのが真言宗である。
松平秀康及び同母霊屋 - 高野山 奥之院
徳川家康の側室「お万の方」と、その子である松平秀康を祀る霊屋は、1607 年(慶長12 年)に造られた。1967 年(昭和 42 年)に重要文化財に指定されている。
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肥前島原松平家墓所 - 高野山 奥之院
肥前島原松平家の墓所。
島原藩は、1669 年(寛文 9 年)に松平忠房 (まつだいらただふさ) が着任してから、1744 年(寛保 4 年)まで松平家の支配にあった。
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浅野長矩墓所 - 高野山 奥之院
忠臣蔵でお馴染みの浅野長矩 (あさのながのり) 内匠頭 (あさのたくみのかみ) )の墓所。

内匠頭は切腹の後、家臣によって高輪泉岳寺に埋葬された。高野山の墓は、討ち入り準備をしていた大石良雄(内蔵助)が建立したものである。
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頌徳殿 - 高野山 奥之院
頌徳殿 (しょうとくでん) は、1915 年(大正 4 年)、高野山開創 1100 年(康和 2 年)の記念事業として建立された。高野山では数少ない大正時代の建築物である。
現在は休憩所として開放されており、セルフサービスでお茶を飲むことができる。
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水掛地蔵 - 高野山 奥之院
頌徳殿の近くには多くの水掛地蔵が並んでいる。

水をかけると願いが叶うと言われている。
燈籠堂 - 高野山 奥之院
杉林の奥に見えるのが燈籠堂 (とうろうどう) で、その奥に空海の御廟がある。この太鼓橋から先は聖地であり、撮影禁止となる。

燈籠堂は、高野山第二世真然大徳 (しんぜんだいとく) によって建立され、1023 年(治安 3 年)に藤原道長によって、現在に近い大きさになったと伝えられている。堂内には、消えずの火として祈親燈 (きしんとう) 、白河上皇が献じた白河燈、宮様と首相の手によって献じられた昭和燈が燃え続けている。
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燈籠堂 - 高野山 奥之院
御廟の前で読経している参拝者が多いことに驚かされた。他の寺院では見られない光景だ。
また、A級戦犯や BC級戦犯とされた元日本軍人を追悼する「昭和殉難者法務死追悼碑」が 2014 年(平成 26 年)4 月に営まれ、安倍晋三首相が自民党総裁名で哀悼の意を伝える書面を送っていたことが話題になった。

毎年 8 月 13 日の夜には高野山万灯供養が行われ、参道に無数のロウソクが灯される。
行程の都合上、日没まで滞在できないことが悔やまれる。
高野山 奥之院 関連

参考書籍

表紙 高野山
著者 松長有慶
出版社 岩波書店
サイズ 新書
発売日 2014年10月
価格 950円(税込)
rakuten
ISBN 9784004315087
日本各地のみならず、世界から多くの人が訪れる高野山。世界遺産に登録されて、二〇一五年には開創一二〇〇年を迎える。この地の四季を通じての儀礼、歴史、弘法大師・空海の生涯、そして仏像や建築など文化財について、高野山に生まれ育ち、密教研究の第一人者であり、高野山真言宗管長を務める著者が体験を込めて綴る。
 

参考サイト

交通アクセス

【鉄道+バス】
  • 南海鋼索線「高野山駅」下車、バスで約 25 分
【自動車】
  • 橋本市から国道370 号線で九度山方面へ。九度山から花坂交差点(三叉路)を国道480 号線(西高野街道)に向かうと高野山へ。橋本市からの所要時間は約 1 時間。駐車場あり。
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目的地:高野山 奥之院

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(この項おわり)
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