上杉神社は全国でも珍しい国管理の神社

2016年10月14日 撮影
拝殿 - 上杉神社
拝殿
上杉神社(山形県米沢市丸の内1-4-13)は、1876年(明治9年)、上杉謙信、上杉鷹山を祭神として米沢城本丸跡に建立された神社である。全国でも数少ない国管理の神社(別格官弊社)である。
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神門 - 上杉神社
神門
1919年(大正8年)に起きた米沢大火で、ほとんどの建物が焼け落ちたが、1923年(大正12年)、明治神宮平安神宮の設計者として知られる米沢市出身の文化勲章受章者・伊東忠太 (いとうちゅうた) により再建された。
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本殿 - 上杉神社
本殿
拝殿の裏手にある本殿。

毎年、上杉謙信 (うえすぎけんしん) の命日である4月29日(旧暦3月13日)に例大祭が行われ、5月3日までの期間は米沢上杉まつりが開催される。
上杉謙信は越後国の戦国大名で、1578年(天正6年)に急逝。米沢は訪れていない。
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上杉鷹山 - 上杉神社
上杉鷹山
跡を継いだ景勝 (かげかつ) は、豊臣秀吉の五大老の一人となり、1598年(慶長3年)に会津に移封された。しかし、関ヶ原の戦いでは豊臣方についたため、1601年(慶長6年)に米沢に移され、30万石に減封された。このとき、謙信の遺骸も米沢城に移された。

1664年(寛文4年)、景勝の孫、第3代藩主の綱勝 (つなかつ) が子供の無いまま急死した。このとき、徳川家光の実弟で、綱勝の舅である保科正之 (ほしなまさゆき) の尽力により、吉良義央 (きらよしひさ) 上野介 (こうずけのすけ) )の長男、綱憲 (つなのり) が養子に入ることで断絶の危機を免れたが、15万石に減らされる。
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上杉鷹山 - 上杉神社
上杉鷹山
1702年(元禄15年)、赤穂浪士の討ち入りがあった際、綱憲は米沢藩に累が及ばないよう、静観の構えを見せた。しかし、建設事業を増やし、参勤交代を華美にするなどして、減収した藩財政をさらに悪化させた。

この後、米沢藩の財政は悪化の一途をたどり、借金は20万両(150~200億円)に達し、領地返上寸前まで追い込まれた。
1767年(明和4年)、第9代藩主となった上杉鷹山 (うえすぎようざん) は、藩政改革に着手。第11代藩主、斉定 (なりさだ) の代に借金を完済する。

鷹山は、役人の贅沢や無駄を正す倹約令を発して支出を抑える一方、農業や織物に力を入れ収入を増やした。江戸時代屈指の名君とされている。
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なせばなる - 上杉神社
なせばなる
なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」は武田信玄の名言をインスパイアしたものとされるが、「伝国の辞」とともに、代々の藩主に伝えられていく。
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謙信公御堂跡 - 上杉神社
謙信公御堂跡
南東の高台には、上杉謙信の遺骸を納めた御堂があった謙信公御堂跡がある。

明治の神仏分離令を受けて、遺骸は上杉家廟所に移された。
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草木塔 - 上杉神社
草木塔
草木塔 (そうもくとう) は、草木にも霊魂が宿っており、その草木から得られる恩恵に感謝し、伐り倒した草木の魂を供養する心をあらわしている石碑である。山形県置賜地方を中心に32基が確認されている。

「自然との共生」という観点から再び注目されるようになり、全国各地や海外にも新たな草木塔が建立されるようになっている。
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天地人 - 上杉神社
天地人
参道には、2009年(平成21年)に放映されたNHK大河ドラマ『天地人』を記念し、上杉景勝と直江兼続 (なおえかねつぐ) の銅像が建てられた。
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参道 - 上杉神社
参道
上杉神社への参道には、米沢城祉の堀に架かる石造橋である舞鶴橋 (まいづるばし) がある。別名「めがね橋」。
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舞鶴橋 - 上杉神社
舞鶴橋
舞鶴橋は1886年(明治19年)に完成した石造アーチ橋で、国の登録有名文化財に指定されている。
全長5メートルに短い橋だが、幅は7メートルもある。凝灰岩の欄干を設け、親柱に自然石の奇岩を配している。
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松岬神社 - 上杉神社
松岬神社
松岬神社 (まつがさきじんじゃ) は、1902年(明治35年)に上杉神社より上杉鷹山を分祀して創建した神社である。鷹山のほか、上杉景勝、直江兼続など6柱を祀っている。
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米沢市上杉博物館 - 上杉神社
米沢市上杉博物館
舞鶴橋を渡った先には、2001年(平成13年)にオープンした米沢市上杉博物館がある。
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交通アクセス

【バス】
  • 米沢駅からバスで10分
【自動車】
  • 東北自動車道「福島飯坂I.C.」から約1時間
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:上杉神社

近隣の情報

参考サイト

(この項おわり)
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