
納沙布岬(北海道根室市納沙布)は、北海道の一番東に当たる岬である。離島を除けば、国内で最も早く日の出を見ることができる。沖縄県那覇市と比べると2時間も早く初日の出を見ることができる。
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約45kmの距離にある国後島が見える。
北方領土の最高峰である爺爺岳(1,822m)とルルイ岳(1,486m)が見える。いずれも火山だ。
北方領土の最高峰である爺爺岳(1,822m)とルルイ岳(1,486m)が見える。いずれも火山だ。

国後島は長さ123kmもあり、面積1489.27km2で、沖縄本島より大きく、本土四島を除くと2番目に大きな島である。

きぼうの鐘は、北方領土の1日も早い返還実現の願いを込め、日本国民の強い祈りを表している。

鐘は2つの部分からなり、釣り手のところで繋がっている形は、、日本国民の固い決意と次世代への継承を象徴している。

響く鐘の音は四島の返る日まで、北方の島々に鳴り続けるとされている。

鐘は2つの部分からなり、釣り手のところで繋がっている形は、、日本国民の固い決意と次世代への継承を象徴している。

響く鐘の音は四島の返る日まで、北方の島々に鳴り続けるとされている。

きぼうの鐘の近くには、社団法人日本青年会議所が1999年(平成11年)7月31日開催した第30次北方領土返還運動現地大会の碑がある。

四島のかけ橋は、北方領土返還記念のシンボル像だ。返還実現への固い決意を象徴するために建立されたモニュメントで、像の下には「祈りの火」があり、この公園の北方館の開館時間に合わせて燃え続けている。

希望の道は、全国各地から寄せられた石を敷き詰めて作られた島への道で、島が還るときの道になる。
石の一つ一つに、北方領土返還への祈りが込められているという。
石の一つ一つに、北方領土返還への祈りが込められているという。

1789年(天明9年)、この地域を治めていた和人がアイヌ民族に対し過酷な労働や暴力的な支配を行ったことが原因で、和人71人が殺害されるクナシリ・メナシの戦いが起きた。

1812年(文化9年)、犠牲となった和人の供養のために造られた墓碑とされているが、発見されたのは1912年(明治45年)であった。

1812年(文化9年)、犠牲となった和人の供養のために造られた墓碑とされているが、発見されたのは1912年(明治45年)であった。


望郷の家は、1972年(昭和47年)4月、千島歯舞諸島居住者連盟が開設し、現在は根室市が所有している。北方館は、1981年(昭和56年)8月、独立行政法人北方領土問題対策協会が開設した。



とても狭いバス待合所がある。

気温は氷点下にになっていない。

本当の納沙布岬は、400メートルほど東南東に離れたところにある納沙布岬灯台の先にあたる。下のパノラマ写真の右端に当たる。

本当の納沙布岬は、400メートルほど東南東に離れたところにある納沙布岬灯台の先にあたる。下のパノラマ写真の右端に当たる。

近隣の情報
- 納沙布岬から国後島を望む:ぱふぅ家のホームページ
- 東根室駅は日本最東端の駅:ぱふぅ家のホームページ
- 根室駅は日本最東端の有人駅:ぱふぅ家のホームページ
- 国後を望む浜辺に、北方領土を示す歴史遺産(2019年11月18日)
- 「蓮葉氷」、根室の沿岸を覆う 今年は早めの結氷(2017年1月17日)
参考サイト
- 納沙布岬:北海道ラボ
- 独立行政法人 北方領土問題対策協会
- 日本本土最東端:納沙布岬:東西南北のブログ
- 最終遠征編、納沙布岬:アニマルさんのアイモバ戦記&ときどき駅メモ
- 納沙布岬は異景観で刺激的だった!:スパルタスロンへの遥かなる道
(この項おわり)