越中五箇山菅沼集落・相倉集落は世界遺産

2022年2月14日 撮影
越中五箇山菅沼集落
越中五箇山菅沼集落
越中五箇山 (えっちゅうごかやま) は、世界有数の豪雪地帯で、平年の降雪量は約2メートルもある。傾斜の急な大きな屋根を持つ合掌造りの家屋が生まれた。
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1970年(昭和45年)、「越中五箇山相倉集落 (えっちゅうごかやまあいのくらしゅうらく) 」(富山県南砺市相倉)「越中五箇山菅沼集落 (えっちゅうごかやますがぬましゅうらく) 」(富山県南砺市菅沼)として国の史跡に指定され、1994年(平成6年)には重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
1995年(平成7年)12月、隣接する岐阜県大野郡白川村の白川郷 (しらかわごう) とともに、世界遺産に認定された。
縄文時代の遺跡が約50箇所あり、約4500年前の土器が出土している。平家の落人が住み着いたとも伝えられている。
五箇山民族館 - 越中五箇山菅沼集落
五箇山民族館
五箇山民族館は、菅沼で最も古い合掌造りの内部を改築し、先人たちの知恵が生かされた生活用具や資料を300点余りを展示している。
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塩硝の館 - 越中五箇山菅沼集落
塩硝の館
塩硝の館 (えんしょうのかやた) は、加賀藩政時代の五箇山の一大産業であった塩硝(黒色火薬の原料)の製造方法を展示している。
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山下家 - 越中五箇山菅沼集落
山下家
1471年(文明3年)、本願寺発生蓮如が下向し、北陸一帯が浄土真宗(一向宗)の勢力となった際、五箇山も浄土真宗に改宗したと考えられている。
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松与門家 - 越中五箇山菅沼集落
松与門家
周囲を1000メートル超の山々と庄川の峡谷に囲まれた陸の孤島で、1690年(元禄3年)には加賀藩の流刑地となった。
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タクシー乗り場 - 越中五箇山菅沼集落
タクシー乗り場
タクシー乗り場もレトロな佇まい。
越中五箇山相倉集落
越中五箇山相倉集落
越中五箇山相倉集落 (えっちゅうごかやまあいのくらしゅうらく) は、菅沼集落から車で約15分ほど離れている。
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越中五箇山相倉集落
越中五箇山相倉集落
気象条件が厳しい五箇山では、江戸時代、年貢を米で納めることができなかった。商品作物などを井波町や城端町の商人を介して換金し、年貢を納めていた。
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越中五箇山相倉集落
越中五箇山相倉集落
それでも住民の生活は困窮を極め、天保の大飢饉が起きた1837年(天保7年)には、住民の約4割が餓死した。
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相倉集落への交通アクセス

【バス】
  • JR城端線「城端駅」から世界遺産バスに乗車し、約20分
  • 新幹線「新高岡駅」から世界遺産バスに乗車し、約1時間
  • 高岡駅から世界遺産バスに乗車し、約1時間20分
五箇山 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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