茅野市尖石縄文考古館に国宝の土器が2つ

2023年2月16日 撮影
縄文のビーナス - 茅野市尖石縄文考古館
縄文のビーナス
茅野市尖石縄文考古館 (ちのしとがりいしじょうもんこうこかん) (長野県茅野市豊平4734-132)は、尖石・与助尾根 (よすけおね) 遺跡と、その周辺の遺跡から出土された品物を収蔵、展示している。撮影は原則自由だが、他機関・他博物館所蔵資料のレプリカは撮影禁止。

写真は、縄文のビーナスと呼ばれる土偶。国宝。1986年(昭和61年)に棚畑遺跡から出土したもので、高さ27cm、重さ2.14kg。縄文時代中期(約5000年前)のものとされる。
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縄文のビーナス - 茅野市尖石縄文考古館
縄文のビーナス
下方に重心がある安定した立像形で、頭頂部が平らに作られ、円形の渦巻き文が見られることから、帽子を被っている姿とも髪型であるとも言われている。
ハート形のお面を被ったような顔をしており、切れ長のつり上がった目や、尖った鼻に針で刺したような小さな穴、小さなおちょぼ口などは、八ヶ岳山麓の縄文時代中期の土偶に特有の表情である。耳にはイヤリングをつけたかと思われる小さな穴があけられている。
胸は小さくつまみ出されたようにつけられているだけだが、その下に続くお腹とお尻は大きく張り出しており、妊娠した女性の様子をよく表している。
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縄文の手 - 茅野市尖石縄文考古館
縄文の手
1955年(昭和30年)11月3日に茅野市尖石考古館として開館した。収蔵品が増加したことから、1979年(昭和54年)に現在地に移転し、2000年(平成12年)7月20日に茅野市尖石縄文考古館としてリニューアル・オープンした。蓼科山麓周辺の先土器時代の遺跡出土品、八ヶ岳西麓の縄文時代の遺跡出土品を中心に、市内各地の遺跡から出土した土師器、須恵器、古墳の副葬品、石器、土製品などを中心に考古学資料約3000点を収蔵している。

写真は、地元出身の彫刻家である矢崎虎夫氏(1904~1988)による「縄文の手」。茅野市内の西ノ入遺跡から出土した土偶の頭部破片をモデルに造形されたもの。
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茅野市尖石縄文考古館
茅野市尖石縄文考古館
エントランスには、縄文時代の国宝1号となった国宝「土偶」(縄文のビーナス)、2014年(平成26年)に指定された国宝「土偶」(仮面の女神)の像がある。
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鉢形土器 - 茅野市尖石縄文考古館
鉢形土器
縄文土器のうち出土量の多い深鉢型土器はおもに煮炊き用として、出土量の少ない鉢形土器は煮炊き以外の用途で使用されていたと考えられている。
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鉢形土器 - 茅野市尖石縄文考古館
鉢形土器
この鉢形土器は、高さ10.5cm、最大径21.0cm、底径6.2cm。縄文時代後期前半(約4000年前)のものとされる。
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仮面の女神 - 茅野市尖石縄文考古館
仮面の女神
仮面の女神と呼ばれる土偶。国宝。2000年(平成12年)に中ッ原遺跡から出土したもので、高さ34cm、重さ2.7kg。縄文時代後期(約4000年前)のものとされる。
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茅野市尖石縄文考古館
茅野市尖石縄文考古館
縄文土器は、約1万6000年前~約2400年前まで続いた縄文時代(日本の石器時代)の土器で、縄目文様のついていることからこの名が付いたが、すべての縄文土器に網目模様が付いているわけではない。
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茅野市尖石縄文考古館
茅野市尖石縄文考古館
縄文土器は、北は北海道の礼文島や千島から、南は奄美大島、沖縄県南西諸島にまで分布する。
1877年(明治10年)に大森貝塚を発掘したモースが、貝塚の中から初めて縄文土器を発見した。
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茅野市尖石縄文考古館
茅野市尖石縄文考古館
旧石器時代には人類の集団は移動しながら狩猟採集の生活を送っていたが、気候の温暖化が進み食べ物が豊富にとれるようになり、縄文時代になると定住するようになる。この食べ物の貯蔵や調理に使われたのが縄文土器である。
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茅野市尖石縄文考古館
茅野市尖石縄文考古館
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茅野市尖石縄文考古館
茅野市尖石縄文考古館
石器も多く発掘されている。
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尖石遺跡 - 茅野市尖石縄文考古館
尖石遺跡
尖石遺跡 (とがりいしいせき) とその周辺からは、200軒を超える住居跡が発見されている。そのほどんとが縄文時代中期の約千年間につくられたものだ。まだ調査をしていない箇所も多く、300軒を超える住居跡が埋没しているのではないかと推定される。
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交通アクセス

【バス】
  • 茅野駅からアルピコ交通「メルヘン街道バス」で約20分、「尖石縄文考古館前」下車
尖石縄文考古館 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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