目次
- 万字線跡
- 夕張鉄道線跡
- 幌内線跡
- 大地のテラスと711系赤い電車
- 朝日駅付近の地図
- 参考サイト
- 近隣の情報
万字線跡

朝日駅・万字線鉄道公園

朝日駅・万字線鉄道公園
しかし、太平洋戦争後は石炭から石油へエネルギー源が変わり、炭鉱が次々と閉鎖になった。1984年(昭和59年)4月1日に全線廃止となり、バス運行に転換した。

朝日駅・万字線鉄道公園

朝日駅・万字線鉄道公園

朝日駅・万字線鉄道公園
設計を極端に簡素化した例として、ブレーキが蒸気式と手ブレーキのみだったことが挙げられる。通常の空気ブレーキであれば、貨車や客車にもブレーキがかけることができるのだが、蒸気ブレーキでは自分自身にか作用しない。このため本線運用は不可能で、最初から入換用途以外は考えられていなかった。

朝日駅・万字線鉄道公園

万字炭鉱ホッパー跡

万字駅(現・万字仲町簡易郵便局)

万字駅(現・万字仲町簡易郵便局)
旧駅舎からホームへの階段やホームも残存している。

万字駅(現・万字仲町簡易郵便局)
駅舎のそばには、美流渡駅跡設置と同じ形状の駅名標をかたどった「万字駅 跡碑」の看板が建立された。

上志文駅

上志文駅

上志文駅
駅舎の前には「国鉄万字線 上志文駅跡」と花崗岩に刻まれた石碑が建立された。
夕張鉄道線跡

栗山公園

1D加熱テンダー機関車第21号
1908年(明治41年)10月に、鹿ノ谷 - 若鍋(のちの若菜辺)間で運行開始し、1930年(昭和5年)に野幌 - 新夕張(のちの夕張本町)間の全線53.2km、19駅が開通した。

1D加熱テンダー機関車第21号
1D加熱テンダー機関車第21号が静態展示されている。
鉄道員が1913年(大正2年)から製造開始した9600形蒸気機関車の同型機で、1941年(昭和16年)9月に製造された9600形の最終製造車でもある。

全長16.563メートル、全幅2.616メートル、全高3.885メートル。機関車重量は55.75トン、炭水車重量は15.24トンとなっている。
鉄道員が1913年(大正2年)から製造開始した9600形蒸気機関車の同型機で、1941年(昭和16年)9月に製造された9600形の最終製造車でもある。

全長16.563メートル、全幅2.616メートル、全高3.885メートル。機関車重量は55.75トン、炭水車重量は15.24トンとなっている。

1D加熱テンダー機関車第21号
栗山駅は、1893年(明治26年)7月に北海道炭礦鉄道(のちの室蘭本線)の駅として開業した。この室蘭本線との接続駅として、夕張鉄道線の栗山駅が1926年(大正15年)10月に開業した。

夕張鉄道には多くの北炭専用鉄道が接続しており、石炭の輸送のほか、炭鉱労働者や家族を輸送した。また、石炭輸送だけでなく旅客サービスにも力を入れ、1952年(昭和27年)に気動車を導入し、スピードアップがはかられた。

夕張鉄道には多くの北炭専用鉄道が接続しており、石炭の輸送のほか、炭鉱労働者や家族を輸送した。また、石炭輸送だけでなく旅客サービスにも力を入れ、1952年(昭和27年)に気動車を導入し、スピードアップがはかられた。

1D加熱テンダー機関車第21号
石炭・旅客ともに1960年代初頭に輸送のピークを迎え、その後のモータリゼーションの波に洗われ、輸送量は減少していく。1972年(昭和47年)には新夕張炭砿が閉山し、残る北炭平和砿も1975年(昭和50年)3月末に閉山したため、全線を廃止した。
幌内線跡

萱野駅

萱野駅
大地のテラスと711系赤い電車

711系赤い電車

711系赤い電車
展示されているのは、千歳空港駅(現・南千歳駅)開業および千歳線・室蘭本線室蘭電化用として1980年(昭和55年)9月に製造された第3次量産車だ。

711系赤い電車
711系は、その塗装から、「赤電」「赤電車」として親しまれてきた。

711系赤い電車
保存場所には「あぐり駅」と名付けられているが、実際にあった駅名ではなく、大地のテラスが農業を意味する英語 "agriculture" から命名したという。
朝日駅付近の地図
近隣の情報
- 万字線・夕張鉄道線・幌内線廃線跡地をゆく:ぱふぅ家のホームページ
- 三笠鉄道村は北海道で活躍した車両を展示:ぱふぅ家のホームページ
- 夕張市石炭博物館で炭鉱の歴史を学ぶ:ぱふぅ家のホームページ
- 迫力ある生き物の版画を展示(2022年11月13日)
- オオムラサキ館、栗山町にオープン(2018年7月18日)
(この項おわり)