
ルビコン川付近の地図
カエサルはローマに凱旋しようとしたが、ローマに入る者は武装解除するのが習わしだった。紀元前49年1月7日、元老院はカエサルに軍の解散を命じた。しかし、カエサルはこれを無視し、1月12日早朝、「賽は投げられた」と言い、将兵4500人とともにローマに入ろうとした。
これを阻止しようとする元老院との間で内戦に発展するが、紀元前46年8月、カエサルはローマに凱旋する。元老院の干潮を受けない権限を持つ独裁官に就任し、多くの改革に着手した。
また、ローマ市民であれば属州の出身であっても元老院の議員になれるように計らい、ローマには優秀な人材が集まるようになる。
これを阻止しようとする元老院との間で内戦に発展するが、紀元前46年8月、カエサルはローマに凱旋する。元老院の干潮を受けない権限を持つ独裁官に就任し、多くの改革に着手した。
また、ローマ市民であれば属州の出身であっても元老院の議員になれるように計らい、ローマには優秀な人材が集まるようになる。
参考書籍
この時代の世界
(この項おわり)
当時のローマは属州と呼ばれる征服地から安い物資が市内に流入しており、自営農民の破産が相次いでいた。破産した農民の土地は貴族に買収され、貧富の格差がますます大きくなっていた。
紀元前59年、カエサルが執政官に就任。貧富の差をなくすために、次々と改革に着手した。
しかし貴族からの反発が大きく、1年の任期が終わると、カエサルはガリア総督(現在のフランス付近)として左遷させられてしまう。
ガリアの地でカエサルは、降伏してローマに服従することを誓ったものには寛大な措置をとっていた。
紀元前52年、アレシアの戦いに勝ったカエサルは、ガリアを平定する。