西暦28年頃 - イエス・キリストの処刑

ユダヤとローマの取引き
磔刑図(アンドレア・マンテーニャ画、1459年)
磔刑図(アンドレア・マンテーニャ画、1459年)
ナザレのイエスはユダヤ教徒であった。
当時のユダヤ教は、ローマに服従することを説く議会派(サドカイ派)と、それを批判し戒律主義を旨とする民衆派(ファリサイ派)に分かれ、争っていた。
そんな中に洗礼者ヨハネがあらわれ、サドカイ派とファリサイ派の双方を批判した。
ヨハネの洗礼を受けたイエスは、しかしヨハネの教えに納得しておらず、修行しているうちに救世主(キリスト)と目覚めたとされる。イエスは各地を訪ね歩き、多くの弟子を獲得し、教団と呼べるような勢力に拡大していった。

サドカイ派もファリサイ派もイエスの影響力を無視できなくなり、彼を捕らえた。
ユダヤの裁判ではユダヤ人を死刑にすることができなかったので、イエスの身柄をローマへ引き渡した。当時のユダヤ総督であったピラトは、ヘロデ王との交渉を経て、最終的にイエスを十字架刑に処した。西暦28年頃のことである。

この時代の世界

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(この項おわり)
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