
ローマ軍のウェクシルム
父カエサルは、紀元前46年にユリウス暦を制定していた。これは太陽暦の一種で、現在一般的に使われているグレゴリオ暦の祖先である。7月(ユリウス;July)は、カエサルの名にちなんで名付けられた。
ところがカエサルの死後、うるう年の計算を間違い、3日の誤差を生じてしまった。オクタビアヌスはこの誤差を修正し、その功績から8月に自分の尊称であるアウグストゥスを当てた。また、父の名を冠した7月が31日まであることから、8月を31日に変更し、この影響で2月の日数が1日減らされてしまったと伝えられている。
ところがカエサルの死後、うるう年の計算を間違い、3日の誤差を生じてしまった。オクタビアヌスはこの誤差を修正し、その功績から8月に自分の尊称であるアウグストゥスを当てた。また、父の名を冠した7月が31日まであることから、8月を31日に変更し、この影響で2月の日数が1日減らされてしまったと伝えられている。
この時代の世界
(この項おわり)
エジプトを滅ぼしローマに凱旋したオクタビアヌス(カエサルの養子)に、元老院はアウグストゥス(尊厳者)の称号を与える。ローマ共和制は終わり、帝政の始まりである。
オクタビアヌスは国政の最高権力者であったが、皇帝ではなくプリンケプス(第一市民)の呼び名を好んだ。そのため、この時代はプリンキパトゥス(元首政)ともいわれる。
以後、約200年間にわたりパクス・ロマーナ(ローマの平和)が続いた。